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■d-9-2 天皇は英国王の臣下であった?

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2006-09-14

EIR誌のリンドン・ラシュールによれば、16世紀のはじめ、ヴェネチアの金融寡頭権力は、その本拠地をアムステルダムへ、そして次にロンドンに移し、16世紀後半のヘンリー8世の時代、イングランド王室を支配下に収めたということです。
もちろん、この金融寡頭権力とはユダヤ国際金融資本のこと。

特に、1815年のワーテルローの戦いでネイサンが仕掛けた“罠”により、旧来の貴族のほとんどが破産してからは、イギリスの上流社会はロスチャイルド人脈によって乗っ取られたようです。

さて、ガーター勲章(The Order of the Garter)は、1348年にエドワード3世によって創始されたイングランドの最高勲章とされています。

勲章と訳されている「Order」ですが、英語では騎士団を指す言葉として「Order」が使われます。

上下の序列を持ち、規則を持った、組織化された騎士の結社という意味を持っています。

つまり、ガーター勲章を授与するということは、“イギリスのナイト”として最高の名誉であるガーター騎士団の一員に任命するということになるのです。

明治天皇は、日露戦争後の1906年、英国の国王エドワード7世の代理として来日したコンノート公(国王の弟でフリーメーソン)からガーター勲章を授与されました。

大正天皇は1918年にジョージ五世から、昭和天皇は1929年に、平成天皇も1998年に授与されています。

日本人から見ると“友好の証”のように思えるガーター勲章ですが、英国王から見れば、ガーター勲章を授け、騎士団の一員に任命するということは、「日本の天皇を“大英帝国王の臣下”として認める」という行為であったのかもしれません。

もしかすると“親英家”として知られた昭和天皇も、実はそのことを渋々ながらも“承知”していたのではないでしょうか?

「昭和天皇はあくまで政・戦略の統合者として世界情勢と戦況を検討し、統帥大権を有する大元帥として統帥部をあるときには激励、あるときには叱責して指導した」

「天皇の判断、行動どれをとってみても、大元帥としての自覚と軍人としての豊富な知識に支えられていたものであったといえよう」 (山田朗 著『昭和天皇の軍事思想と戦略』より)

結局、ユダヤ国際金融資本に利用された挙句、捨てられたわけではありますが…。

多くの日本人にとって、この推論は「荒唐無稽」でしょうが、明治以降の天皇家と国際金融資本との結びつきや、昭和天皇が日本の誰よりも国際情勢に精通していたこと等からみて、あながち間違ってはいないように思えます。

「天子」と皇族が、それを欺く政府の「姦謀」が、ともに相寄って自ら国を亡ぼそうとしているとすれば、この事だけはどうしても赦すことができない。 (江藤淳著『南州残影』より)

【参考】『天皇破壊史』

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