■d-9-1 山本五十六フリーメーソン説 |
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2006-09-13
戦後、通説とされた「陸軍悪玉・海軍善玉論」の真偽を検証した力作『米内光政と山本五十六は愚将だった』によれば、米内光政は、対米戦争に反対した平和主義者としてもてはやされましたが、実は日中戦争を拡大し、停戦の機会を失わしめた張本人の一人であり、悲劇の名将といわれる山本五十六は、ミッドウェー海戦で圧倒的戦力という戦略的優位と海軍機の高性能と搭乗員の高熟練度という戦術的優位がありながら、戦闘指揮の失敗で敗北した、つまり両人とも戦後の名声とはかけ離れた“愚将”であったとしています。
和平への道を誤ったり、戦勝の機をむざむざ逃したのは、単に両人の能力の欠如ゆえだったのでしょうか?
国際政経学会*1員であった渡部悌治氏は、山本五十六がフリーメーソン結社員であったと指摘しています。
渡部悌治の『ユダヤは日本に何をしたか』から引用。
山本五十六が司令長官になった頃、ハーバード大学ルートの情報で、米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば、日本に撃って出ても勝算があり、悪く行っても五分五分で決着がつく。早々に戦端を開くべきだという海軍側の意向が伝えられて来た。しかもその理由の中に一項目、山本はフリーメーソンの結社員だからという条項が入っていた。(略)
山本五十六が、米内光政や高橋三吉らと、日独伊三国の軍事同盟反対の密議を凝らしていた場所は、東京麻布の狸穴にあった。この妾宅の若い女性は当時18歳で、新橋あたりで芸妓をしていた。(略)山本が戦死した報を得て、須藤某が文書の遺稿でもと狸穴に訪ねた時には、すでにこの女性が一切を処理し終えた後であり、(略)戦時中、米内光政の身内や縁故者たちから、国の機密に属する事柄が敵国に流されていたことは事実であり、しかもその事柄が、日本の戦争遂行を不可能にするほどの重要なものもあったことを特筆しておく。
またこの縁辺の者のうちには、首相であった東条の鎌倉での生活苦を賄っていた者もあり、それらを取り巻く近親の者たちの言動から察知された国家機密が直ちに敵国に通報されていた事実も明白になっていた。
山本五十六は1919年5月〜1921年7月までと、1926年1月〜1928年3月までの二度、アメリカ勤務(大使館付武官)をしています。この他にヨーロッパへの長期出張が二度。同時期に駐米大使、駐英大使を歴任していたのが、戦前からフリーメーソンに加入していた松平恒雄でした。吉田茂が駐英中にフリーメーソンに加入したように、山本も、松平に誘われ、フリーメーソンに加入していたことは十分に考えられます。
また、山本と米内は砲術学校時代には同じ部屋に起居している間柄であり、生涯に渡り二人は非常に波長が合ったと言われています。
フリーメーソンとは直接関係ないかもしれませんが、英米に取り込まれていた可能性があるのは山本や米内だけではないようです。
渡部悌治氏は、英米の対日工作費が右翼に渡されたルートとして、
英米の対日工作費→張学民経由→キリスト教矯風会の子女→大川周明・赤尾敏
英米のエージェントであった巌本善治→正則中学校の今岡信一郎→関東国粋会の梅津勘兵衛
などを挙げています。
クーデターにはアメリカ、ユダヤから金がきていた。2.26事件には三井財閥の金も動いている。北一輝には三井の池田成彬から月々の手当てが出ていた。それで池田には行動決行の電話がいち早く届いている。5.15事件も、2.26事件も、他のクーデターも、いずれの場合も、第三国の金が動いたのである。
2.26事件の資金は、久原房之助から出ていた分のルートも分かっている。(略)久原の背後にあって久原に資金を調達していた者が誰か、ということも考えてみなければなるまい。
このように、いわゆる右翼なるものが必ずしも純粋に愛国的なもののみでなく、またその中核とも見られる国粋主義団体にまで第三国の対日工作資金が流れていたことは、日本の愛国運動史上きわめて不幸なことであり、それがまた日本の敗戦と解体を招いた原因となっていると考えられる。
ついでに『月間猶太研究』から山中豊吉氏の論文『キリスト教に隠れたユダヤ教の陰謀』から引用しておきます。
日本に対するユダヤとキリスト教の謀略を検討いたしますと、だいたい次のような四点に分けてこれを観察することができるように思います。すなわち
①日本プロテスタントを利用加勢してカトリックに対抗せしめること。(すなわちフリーメーソン的キリスト教の前進)
②これによりカトリックを刺激して、さらにカトリックの教勢を張らしめること。(ローマ的キリスト教の前進)
③かくして双方の競争的努力によって急速に、かつ手広く日本を変質せしめ、これをユダヤ化すること。(分進合撃の戦法)
④その結果、エホバ秩序、ないしキリスト教秩序の下に統一せられたるユダヤ世界の完成を期すること。(イザヤ預言の新天新地の実現)
山中氏は、プロテスタント≒フリーメーソンと考えていたようですが、この指摘は的確だと思います。
いずれにせよ、日本は、ユダヤ伝統の両建て戦術、「分断して、統治せよ」に見事に嵌っていたようです。
【参考】『天皇破壊史』
*1:機関誌『国際秘密力の研究』(昭和11年〜15年まで、全6冊)と『月間猶太(ユダヤ)研究』(昭和16年〜19年まで、全36冊)を刊行。戦後の一般書籍のように営利を配慮したものとは違い、国家存亡の岐路に憂国の情から研究された貴重な出版物を発行してきた。
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投稿者 sfu9xi | 返信 (0) | トラックバック (0)