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■d-8-6 日本フリーメーソンの内幕⑥

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2006-09-11

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
失敗した天皇入社
日本人のフリーメーソン創設期の事情を知る一人に芝金平氏(朝日イブニングニュース社相談役)がいる。

「私とか村山有さんなんかが始めたとき、日本人はほんの五、六人でした。フリーメーソンということではなく、日米親善の組織として集めました。当時、水交社にアメリカのメーソンがたむろしており、中心人物はマイク・リビイスト氏たちだった。彼らから日本人のメーソンを作らないかと話があり、村山有さんがGHQにかけあいに行き“宗教団体としてならよろしい”となりました。

それで私らが日本のメーソンの発起人になり、東久邇宮さんとか主だった人々を集めたのです。私たち初期メンバーは一位階のメーソンでしたが、一晩で昇進させられました。英語で儀式用語を暗記するんですよ。今は日本語でいいが当時はあくまで英語でした。それから水交社を払い下げてもらったが、これは正確にいうと“盗んだ”みたいなもので後に水交社側と示談になりました。マイク・リビイストたちが仕組んだことです。そういうやり方が私はおかしいと思ってトルーマン大統領がメーソンだというので直訴したんだ。すると日本のメーソンはフィリピンの管轄下だからそちらへ言えと返信がきた。そしてフィリピンから調べにきたが、結局ウヤムヤになってしまった。

日本人のメーソンといったってコントロールしていたのは一部の外人でした。イタリア人のリビイストとかが水交社ビルを使って金儲けをしており、“話が違うじゃないか”と私はやめました。当時、日米親善といえばみんな乗ってきましたし、東久邇さんや鳩山さんにしろ他の政治家の多くもうまいことがあると思って集まったのですよ」

フリーメーソンの高尚な教義にもかかわらず、日本人メーソンも外国メーソンの指導者たちもかなりいかがわしい行状があったようである。フリーメーソンを日本で定着させ、拡大させるには天皇の入会がキー・ポイントであった。前出の宮中工作と同時期、日本人メーソンの笠井重治氏のもとにもマッカーサー元帥からの次のような要請があった。

「マッカーサーから手紙がきて“メーソンのアジアというものを作りたい”といわれた。私は“いいと思う。日本ではメーソンは誤解されているが、世界との友情に必要だ”と答えた。するとマッカーサーが、“重要な会合なので天皇を加えたい”という。私は“それは無理だが皇族なら何とか”と答え、当時総理大臣だった東久邇宮を訪ねた。

マッカーサーがフリーメーソンに天皇や皇族を加入させたいという意図は、日本の支配者だからというものでした。私が当時無理だといったのは、フリーメーソンへの悪いイメージがあったからで、今ならおかしくないし、反対もしません。東久邇さんのもとへはリビイストを連れていって話をしました。東久邇さんが入会してから二、三年後、佐藤尚武、植竹悦二郎他が入会したが、みんな私が説得したんですよ。もう一方では芝金平さんが日本人メーソンを集めていました。ちょうどそのころ、アメリカの将校たちが旧海軍の水交社にいたので、私が日本政府に交渉して日本グランド・ロッジにしたのです」(笠井重治氏の話)

笠井重治氏は山梨県出身の代議士で、1950年1月7日入会、No.2ロッジに属した。国際産業(株)社長、日米文化振興会会長、フィリピン協会理事などをしている。戦前、シカゴ大政治学科、ハーバード大学院を卒業、親米派の人物だ。

『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎)によれば、笠井氏は戦後すぐGⅡのウィロビー部長への有力な情報提供者であり、占領政策の「友好的日本人」と評価されていて、マッカーサー元帥とも知人であった。また、マッカーサーの記念館を作ろうとの運動を起した人物でもある。

笠井氏の話では、

「メーソンの資格はこれといってないが、戦前の日本人でメーソンになれる人は少なかった。アメリカでは銀行の頭取とか社会的有力者ばかりが入会していました。私がマッカーサーと話して日本のメーソンを独立させたのです」

ということである。

芝金平氏、笠井重治氏の談話にも二度名前が出てくるマイク・リビイスト氏とは前出の天皇入会の宮中工作を担当していたメーソンの大物だ。1949年にアメリカからフリーメーソンの視察官として来日、マッカーサー元帥の腹心の軍人(大尉)であった。天皇工作がなぜ実現しなかったかについて、次のような推測がある。

「天皇とフリーメーソンを接近させたくない勢力があってマイク・リビイストの行状を洗って警察にたれ込み、事件を作った。推測ですが、私は当時、天皇の入信工作をしていたバチカンとCIAが臭いと思う。フリーメーソンに詳しい人は反フリーメーソンとしてバチカンをあげます。マッカーサー元帥もプロテスタントですし、プロテスタントは親メーソンです。また“犯人”は日本の右翼勢力かも知れません」(当時の新聞記者)

この事件とは『読売新聞』昭和29年9月15日付の記事である。リビイスト氏がキャノン少佐帰米後の莫大な日本での“隠匿私財”の管理人、シヤタッタ軍曹を可愛がり、フリーメーソンの32位階にしたが、警察はリビイスト氏とシヤタッタ軍曹の関係を洗っているとの内容だ。その後、リビイスト氏はメーソン内部でも問題になり、沖縄に“追放”されたという。


天皇の入会工作が成功していたら、

「日本のフリーメーソンは創立当初と余り変わらない勢力ですが、天皇が入っていればみるみる大きな力を持ったでしょうね。政財界人などがこぞって入会したでしょうから」(矢野文雄氏。翻訳家、メーソン)

といまだ残念な口ぶりである。

天皇への入会工作は戦後占領期の混乱のなかで の一時的なことだったのであろうか。この問題は同時期のキリスト教の布教を喜んだマッカーサー元帥の政策と似ているかも知れない。東久邇宮の終戦内閣でキリスト者の賀川豊彦氏が閣僚に入り、総理大臣を待望されたり、翌47年の片山哲内閣誕生で、マッカーサー元帥が、

「歴史上はじめて日本がキリスト教徒によって指導されることになったのは特別に重要だ。キリスト教は圧政を求めるイデオロギーに対する無敵の精神的砦である」

と歓迎声明。マッカーサー元帥にとってキリスト教とフリーメーソンはともに、日本人のイデオロギーを変える自由と民主主義の文明だったからである。

(つづく)

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