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■d-8-5 日本フリーメーソンの内幕⑤

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2006-09-10

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
フリーメーソンの宮中工作
村山氏の本からもう少し続ける。

鳩山一郎氏は公職追放中だったが、マッカーサー元帥の肝入りでフリーメーソンの門戸が開いたと聞き、村山氏を訪ねて入会を希望、「フリーメーソンの精神を日本人にも大いに理解させなくてはいかん」と大変に力を入れた。やがて公職追放がとけ、総理大臣になるとメーソンの第3位階に昇進、水交社で200人近いメーソン兄弟の祝福を受けた。そのとき鳩山氏は次のようにあいさつした。

「戦後日本において幾多の社会的変化がありました。そのなかでフリーメーソンの門戸が開かれたことは最も大きな出来事であります。私は世界幾多の指導者や元首が対等の資格で会員であるフリーメーソンの一員として、日本グランド・ロッジの年会に出席する機会を光栄に思います。

フリーメーソンが民主主義精神の根本を教え、アメリカの独立をはじめとして自由と平和のために闘ってきた数多くの先覚者は、みなメーソンでした。この友愛精神が新しく日本をもつなぐ大きな力となったことを考えましても、この精神を讃えずにはいられません。マッカーサー元帥は私ども日本人にこの友愛結社の門戸を開き、また占領軍の多くのメーソンは実際に兄弟愛の何物であるかを実践してくれました。

占領初期から今日に至るまでのマッカーサー、リッジウェイ、クラーク、ハル、レムニッツアならびにアリソン大使は、いずれもメーソンであります。日本にこの会が結成されて数年を経ていますが、この間に日本語のみの関東ロッジが認められたことを喜ぶものです。4000年の歴史を有するフリーメーソンが日本で実を結んで、今日に至ったことを誇りに思います」(昭和31年6月5日)

村山氏があげている初期の日本人メーソン(前出の他)では、浅地庄太郎(日本ビルサービス株式会社社長)、二宮順(朝日新聞記者、ボーイスカウト運動)、李垠(旧皇族の李王)、東ヶ崎潔(1950年入会、No.2。ジャパンタイムズ社長、ボーイスカウト運動に活躍、ロータリー・クラブ国際会長。1960年日本のグランドマスター)、植田優、吉井寿雄(貴族院議員吉井勇の息子、松本滝蔵の親族)、武田修、島内敏郎(外交官、サンフランシスコ講和会議の委員)、長田政次郎、北川正恵、小田春海、犬丸徹三(元帝国ホテル社長)、堀内貞一 (神奈川菱油取締役、新日本産業設立、社長。1959年日本のグランドマスター)、山本勝夫、増山吉成がいる。

村山氏も述べているように日本のフリーメーソンは、マッカーサー元帥はじめ占領軍高官とアメリカの戦後政策(新日本建設)が合致して強力に推進させられたと考えられる。“フリーメーソン・ライブラリー”所蔵の『日本のフリーメーソン百年史』(日本グランド・ロッジ編)の中でもそのあたりの“政治の裏面”が記録されている。以下、同書にそって追ってみたい。

「フリーメーソンに対する嫌悪感を生ませた軍国主義者のやり方を私はアメリカのメーソンに説明した。アメリカのメーソンの人々は、日本の若い世代の心にヒューマニティとデモクラシーの精神による日本の再建策として非常に重要な戦後計画であるスカウトを支え、援助することを日本の指導者と政府の役人に約束した。私はフリーメーソンの真実の姿を、日本の皇族とトップ・リーダーに紹介するために働きかけた。

そして東久邇宮(天皇の叔父、戦後の首相)が兄弟、友愛の真実を学ぶためにフリーメーソンの“忠実な奉仕者”になることを表明した。彼は少数の日本人希望者と共に、加入申請書を出し、最初の日本人となった。プリンス・李垠(夫人は皇后のイトコ)も私どもと共にメーソンとして歩んでいる。このことが佐藤尚武、高橋龍太郎、鳩山一郎、河合弥八、三島通陽ら日本人リーダーを含む人々の入会を納得させるのに役立ったのである」(同、1955年、ワーナー・P・シュトリング氏記述、日本のメーソン指導者)

マッカーサー元帥は、フィリピン管轄下の日本のフリーメーソン組織をフィリピン側の反対を押し切る形で独立させる働きをした。 「日本人にまかせるようにしなければいけない」と考え、そのため日本人フリーメーソンを「これこそ一晩で上級位階にする処置を取った」(芝金平氏。後述)。日本のフリーメーソンを発展させるため、マッカーサー元帥はまず皇族を入会させ、次に日本の指導層を獲得、最後に天皇を会員とする腹であった。

戦前からアメリカのメーソンで日本通の人々は、「アメリカ人に対し、天皇を理解せよ」と説いたが、今度は天皇の方からフリーメーソンに対して「大いに興味を持たれた」という。天皇の耳にフリーメーソンを吹き込み、勧めたのは次の人々である。

「日本のエンペラーに接近するため皇族の東久邇宮、李垠、宮中の伯爵と男爵、政府のトップに接近した。1949年頃である。この工作を小松隆、三島通陽が二年前から行なっていた。工作の中心はマッカーサー元帥が中心で、アメリカ側にも働きかけていた。天皇への工作は、反共政策とフリーメーソンの普及を同レベルで位置づけるためである。メーソンでは、リビイスト他がこれに当たっている」(同)

宮中の伯爵と男爵とは、村山氏によれば英国のフリーメーソンであった松平恒雄氏(宮内大臣、衆院議長、伯爵、元駐英大使)と幣原喜重郎(元首相、男爵、元駐英大使)の二人であった。松平恒雄氏は1950年4月、マスターメーソンの最高階級のミーティングに出席、

「私はよくメーソンを知っている。人類愛、同胞愛があり、それを尊重している。破壊からこの世界を救うのは、フリーメーソンのみであると信じています。マスターメーソンの崇高な会議に出席できたことを喜びます。マッカーサー元帥がとくに日本のフリーメーソンに好意を寄せ、門戸を開いた。日本の社会革命は疑いのないところです。そして日本に自由と平等と兄弟愛が訪れるわけで、すばらしいことです」(同)

と熱烈な言葉を贈っている。幣原喜重郎氏も列席者として、

「私はロンドンで日本大使の林董(メーソン)から聞き、引きつけられました。私は加入することを望んだが入会する前に任地を離れ、残念でした。日本ではフリーメーソンは、破壊活動をする団体とみられていましたので、日本人は加入を禁じられていましたが、マッカーサー元帥が日本人にメーソンを開き、ありがたく思ってます」(同)

と語っている。

フリーメーソンとは、「宗教を基礎にしたいろんな有神論者が集まる団体」(北村安忠氏。1980年グランド・マスター)である。だから、大局的にみれば全世界の多様なフリーメーソンは有機的な“世界反共同盟”ともいえるのだ。この意味を正直に語っているのが1955年の同書の次のような記述であろう。

「5月25日、鳩山一郎、河合弥八の二階級の昇進が行なわれた。河合は東京テンプルで午前8時、特別グランド・ロッジが作られ、私どもの代表団により組織された、選ばれた比国代表のグループと地区グランド・ロッジの4人の主だった役員、東京ロッジ、関東ロッジの主だった役員、そしてブラザー・ハル将軍、ブラザー・マックノートン将軍、ルースト将軍が特別ゲストとして出席。もう一方では、臨時に作られた祭壇がおかれている鳩山邸で午前9時から厳粛な儀式が始まった。

午後4時、ブラザー・河合と鳩山は日本のすべてのメーソンとその婦人と共に東京テンプルでのティー・パーティーに招待され、祝福された。特にマッカーサー元帥、ハリー・S・トルーマン前大統領のような著名なメーソンからの祝辞が披露された。ブラザー・鳩山はメーソンの兄弟愛に深く感動し、これからのどんな活動もフリーメーソンの教えに導かれるであろうと私たちに語った。ブラザー・河合も、同じく世界の平和を得ることが、唯一の人類の願いという私たちの友愛精神の崇高な意志を高く評価すると表明した。

5月28日、午前9時、私どもの代表団は司令部でブラザー・ハル将軍に迎えられた。そして、極東における共産主義の潮をくいとめることが、フリーメーソンの重要点であるとの見方を交した」(同)

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