「アラブ人/ユダヤ人」というフィクションに関する考察2008 ... | sfu9xi | sa.yona.la help | tags | register | sign in

「アラブ人/ユダヤ人」というフィクションに関する考察2008年12月20 日【mixi:アブドゥさん】 tk

reply
中東・イスラム世界との対話 トピック
「アラブ人/ユダヤ人」というフィクションに関する考察2008年12月20日 04:08

アブドゥ

お待たせしました。

ユダヤ教改宗者の方と「ユダヤ人」や「アラブ人」の話で盛り上がりつつあるので、別トピ(以前の話は自己紹介トピ参照)立てます。

最初に自分の立場を話すべきでしょうか?

元クリスチャン(洗礼は受けませんでしたが)で、エルサレムに行きたくて、大学でアラビア語とヘブライ語を学び、パレスチナ人とイスラエル人の学生の対話を目指す学生NGOやパレスチナ人への人道支援をするNGOに関わり、数年前はヨルダンで、日本からのUNRWAへの援助調整をしていました(これはたまたま結果的にそういう仕事だったというだけで、積極的に志願したわけではありません。もう当時はどっちの側にも幻滅していましたし、「アラブ人」のフィクションについても十分に理解していましたから。)。イスラエル・パレスチナには5−6回行きましたし、合計4ヶ月ほど滞在しました。世俗的なイスラエル人の友人も昔は結構いましたし、正直、お付き合いしたイスラエル人女性もいます。今でも、旅先でヘブライ語を話している世俗的なイスラエル人旅行者と出会えば、かろうじてまだ覚えているヘブライ語を片言使って声をかけて、普通に仲良くして、イスラエルの国内情勢について話を聞きます。信仰としては、トルコ人の師を持つスーフィー系のムスリムです。

さて、私がこの話をするにあたって前提にするのは、「想像の共同体」です。

これは、インドネシアにおいて「インドネシア人」という概念が如何に作り出され、共有され、「インドネシア人」という国民が創造されたのかという例を通じて、「民族」や「国民」、要するに、「nation」とはすべからく、フィクションであるとした研究です。

「民族」は定義できません。共産主義者なんかは「民族」の定義を定めようと様々な「研究」を行いましたが、成功しませんでした。

また同様に、「言語」と「方言」の違いも定義もできません。

例えば「アラビア語」という概念があり、その下部カテゴリーとして各地域の「方言」があります。で、モロッコ「方言」のアラビア語は、エジプト以東の「アラブ人」は理解が困難です。お互いに「方言」を使うとコミュニケーションが成立しません。しかし、「共通語」(と言っても、書き言葉でしかなくて、会話では使用されない「文語」といえますが)である「正則アラビア語(fuSHa)」を使用すればコミュニケーションが成り立ちます。

しかし、「イタリア語」と「スペイン語」は異なる「言語」とされていますが、コミュニケーションには問題がありません。お互いに「イタリア語」と「スペイン語」を話しても、ゆっくり話せばコミュニケーションが成立します。これは、「ラテン語」という文語を元に、地中海沿岸の欧州各地において派生した「方言」が近代国民国家の成立とともに、「イタリア語」、「スペイン語」、「フランス語」などなどの「言語=国語」として成立したという背景があります。

つまり、ここにおいて言語的に言えば、「正則アラビア語」とそれから派生した各「方言」と「ラテン語」とそれから派生した各「方言」(=「言語=国語」)は同じ構造であると言えましょう。しかし、「アラビア語」はコミュニケーションが成立しないくらいの差異のある「方言」を抱えながらも、それぞれの「方言」が「言語=国語」とされることがなく、「アラブ人の国語=アラビア語」という概念が作り出され、一方地中海の北側では、「ラテン系の各方言=各国語(これを「ロマンス諸語」と言います)」という概念に基づいて、イタリアやフランスやスペインといった「国民」が創造されたわけです。

ネタを先にばらしてしまいました。

結論から先に言えば、「nation」=「国民」、「民族」とは、主体的な、もっとはっきり言えば、恣意的な選択に基づいて創造されるものなのです。

民族を構成する要素は何でしょうか?

● 言語
● 宗教・宗派
● 文化
● 血統
● 歴史

色々挙げることはできます。しかし、これらの要素で全ての「nation」=「国民」、「民族」を同様に説明することはできません。

ここでは、中東を分析するため、一旦、言語と宗教・宗派に限って話を進めます。

例えば、旧ユーゴスラビアでは、「セルボ・クロアチア語」を話す「ユーゴスラビア民族」という概念に基づいて建国されましたが、指導者のチトーの死後、同じ言語を話す「ユーゴスラビア民族」は、宗教・宗派に沿って分裂し、

・ロシア正教のセルボ・クロアチア語話者→「セルビア人」
・カソリックのセルボ・クロアチア語話者→「クロアチア人」
・ムスリムのセルボ・クロアチア語話者→「ムスリム人」

といった様々な「nation」=「国民」、「民族」が創造されました。

一方、オスマン帝国を解体してトルコ語話者のムスリムを中心に「トルコ民族」を創造したトルコ共和国では、異なる言語の話者から、「nation」=「国民」、「民族」の創造が行われました。

隣国ギリシャとの間で住民交換を行ったのですが、交換の軸となったのは言語ではなく、宗教でした。

つまり、

トルコ語を話すギリシャ正教信徒を「ギリシャ人」として、アナトリア半島からギリシャに移住させ、

ギリシャ語を話すムスリムを「トルコ人」としてギリシャからアナトリア半島に受け入れたんです。

つまり、旧ユーゴスラビアでは、同じ言語の話者集団から、宗教・宗派に従って新たな「nation」=「国民」、「民族」が創造されたのですが、トルコとギリシャの間では、トルコ語とギリシャ語話者の集団から、宗教を軸に2つの「nation」=「国民」、「民族」に整理したわけです。

しかし、このようにトルコ語とムスリムという2重のアイデンティティーを追求したトルコ共和国は、一方で、(殆どが)ムスリムではあるがトルコ語話者ではない「クルド人」を抱え込むという問題を抱えてしまいした。(もっと細かく言えば、トルコ語やクルド語やアラビア語を話すクリスチャンやユダヤ教徒(やムスリム)という更なるマイノリティーも抱えているのですが。)

さて、「nation」=「国民」、「民族」に基づく国民国家の建設というナショナリズムが浸透する以前の中東は、他民族・他言語・他宗教の臣民から成るオスマン帝国(とイランのシーア派地域を統治するサファヴィー朝)が統治していました。

オスマン帝国を統治していたオスマン家はトルコ語話者のトルコ系遊牧民の出身ですが、彼らは自らを決して「トルコ人」とは定義しませんでした。彼らの統治の正統性はムスリムの宗教的権威であるカリフと政治的権威であるスルタンで、民族や言語は全く意識されていませんでした。

オスマン帝国は、「民族」という概念を持ちませんでした。多言語・多宗教・多宗派の臣民を宗教・宗派だけに従って分類し、多言語の信徒を抱える各宗教・宗派毎の自治集団(これをmilletと呼びます)に分け、それらの自治集団を統括するのがスンニ派ムスリムの政治的・宗教的権威であるイスタンブールのオスマン家の中央政府という構造で臣民を統治しました。

オスマン帝国が統治した臣民の主な言語と宗教・宗派を挙げれば、

● 言語
・ トルコ語
・ アラビア語
・ ペルシャ語
・ クルド語
・ シリア語
・ アルメニア語
(ヘブライ語は宗教儀礼のための文語として残りましたが、会話では用いられませんでした。また、スラブ諸語やラテン系諸語もありますが、詳しく知らないので省きます。)
● 宗教・宗派
・ イスラム教スンニ派
・ イスラム教シーア派諸派
・ キリスト教オーソドックス諸派
・ キリスト教カソリック諸派
・ ユダヤ教
(拝火教徒などその他は省きます。)

ほぼ、これら言語と宗教・宗派の全ての組み合わせ(ここに挙げた要素(で「諸派」を無視した)だけでも、理論上は、6(言語)×5(宗教・宗派)=30の組み合わせが成立します。)に従って、言語と宗教・宗派によって非常に細分化されたエスニック集団が成立していたわけですが、それらを、宗教・宗派のみに従って分類していたわけです。

で、オスマン帝国の崩壊と「nation」=「国民」、「民族」に基づくナショナリズム思想の流入により、このような言語と宗教で細分化された様々なエスニック集団から創造できる「nation」=「国民」、「民族」の可能性はいろいろな組み合わせ(ここでは理論上は最大30の可能性)があり得た訳です。

その中から最初に抜け出して、国民国家を建国したのが、トルコ人のムスリムを中核とする「トルコ民族」でした。

さて、「ユダヤ人」と「アラブ人」の話です。

アラビア語ではyahud(ヘブライ語ではyahudim)という言葉が、とりあえず英語のJewに相当します。

しかし、アラビア語のyahudという言葉は「ユダヤ教徒」の意味であり、血統概念としての「民族」の意味はありません。

「yahud=ユダヤ教徒」は、「キリスト教徒」や「イスラム教徒」と全く同列の言葉です。

これは、上記のようなオスマン帝国に代表されるイスラム王朝の統治方法と関連しています。つまり、「血統」や「民族」は問題ではなく、宗教・宗派によってエスニック集団を分類してきた歴史が長かったからです。

しかし、一方で、「血統」の概念も残りましたが、これは、ベドウィンの部族主義の文脈でのみ用いられ、都市に居住する住民は、宗教・宗派によって分類されました。

ですから、オスマン帝国崩壊までの「アラブ人」という言葉は砂漠に居住するベドウィンの部族に帰属するアラビア語話者を指す言葉でした。

西欧諸国はオスマン帝国領への侵攻を開始し、欧州半島側のキリスト教徒臣民は、ムスリム臣民たちのナショナリズムの台頭以前に、さっさとオスマン帝国から独立を求めて言語や宗派に基づくナショナリズムに傾倒しました。

次第にオスマン帝国が崩壊していき、アナトリア半島を中心とするトルコ語話者のムスリムによる「トルコ民族」主義が台頭するにつれて、それに対抗するために、残された各エスニック集団は様々な「nation」=「国民」、「民族」に向けて分裂・統合していきます。(ペルシャ語話者の集団は、殆どサファヴィー朝の支配下でしたから比較的容易にまとまることが出来ました。)

問題は、欧州のキリスト教圏から離れたアナトリア半島より南東の中東のキリスト教徒たちです。

最も早く「nation」=「国民」、「民族」の思想に接したのは、主にキリスト教徒でした。彼らは、オスマン帝国において、外務省や通訳等に登用され、欧州との接点も知識人層も多かったからです。

まず、アルメニア語を話すキリスト教徒が「アルメニア民族」ナショナリズムに傾倒しました。オスマン帝国との衝突の末、アナトリア半島を去り、現在のアルメニア共和国で独立しました。

トルコ語を話すキリスト教徒は、主にギリシャに移住しました(ギリシャ正教以外の各教会の信徒はよく分かりませんが、アナトリア半島には殆ど残りませんでした。恐らくシリア地方に移住したのではないでしょうか?これは今後の宿題です。)。

で、取り残されたのが、アラビア語を話すキリスト教徒たちです。オスマン帝国で最大のキリスト教徒集団であったアルメニア人が去った後、圧倒的に少数派になってしまい、また、居住地もムスリムと混住しており、アルメニア共和国のように分離・独立は不可能です。

で、シリア地方に居住するアラビア語話者のキリスト教徒が活路を見出したのが、それまでは砂漠に住むベドウィン(スンニ派ムスリム)を意味していた「アラブ人」を、宗教・宗派を問わず全てのアラビア語話者を含む「民族」として再生させる道です。こうして、キリスト教徒のアラビア語話者らによって積極的に、アラビア語をアイデンティティーとするナショナリズムが提唱されました。今の「正則アラビア語」を近代的な言語として体系化したのは、彼らアラビア語話者のキリスト教徒です。

これは、比較的容易に、アラビア語話者の間で支持を得ることになりました。なぜならば、「正則アラビア語」はボキャブラリーこそ相違があれども、骨格的にはコーランの時代のアラビア語と全く同じですから、ムスリムのアラビア語話者に対しても、宗教的アイデンティティーの中核に訴えることができましたし、そもそもベドウィンたちは自分たちを「アラブ人」と定義していたからです。ただし、キリスト教徒にとっての「アラブ人」概念が「言語」や「文化」であったのに対し、ムスリムにとってのそれは「宗教」であり、ベドウィンにとってのそれは、「血統」であったわけです。

こうした矛盾を抱えながらも、宗教・宗派を超えた「アラブ人」というナショナリズムは、理論上はアラビア語話者のユダヤ教徒も含む概念でした。ユダヤ教徒もアラビア語話者であれば、キリスト教徒と同様に「言語」や「文化」によって「アラブ人」にアイデンティティーを見出すことは可能だったわけです。

しかし、欧州において「血統」としての「ユダヤ人」という概念で差別されたユダヤ教徒たち(言語的には、その居住地によって様々なインド欧州語族に属していました)が、それを逆手にとって、欧州各国のナショナリズムから追放・分離される形で、「ユダヤ人」ナショナリズムに傾倒して行き、やがて多言語の話者である「ユダヤ人」を一つの「nation」=「国民」、「民族」とする独立国家を建国すべきという思想に至ります。この「ユダヤ人」ナショナリズムがシオニズムです。

紆余曲折の末、シオニズムに参加した「ユダヤ人」たちが最終的に建国の土地として選んだのが、現在のイスラエル・パレスチナでした。

ナチズムによる「ユダヤ人」の大量虐殺を防げなかった欧州各国(ちなみに、ナチズムに代表される反ユダヤ主義者は、「血統」としての「ユダヤ人」を定義するため各国の「ユダヤ人」の人種的特長を調査して定義しようとしましたが出来ませんでした。)は、「ユダヤ人」問題解決の方法はイスラエルという「ユダヤ人」の国を建国することだという結論に達し、こうして、細々と続いていたイスラエル・パレスチナへの移住は一気に盛り上がり、続々と欧州から「ユダヤ人」がイスラエル・パレスチナに集まり、そこに住んでいたアラビア語話者のキリスト教徒やムスリムと対立するようになります。

最終的に国連により、イスラエル・パレスチナ分割決議案が採択され、2カ国の建国が提唱されましたが、アラビア語話者たちは「アラブ人」として団結し、この分割決議案を拒否し、イスラエルに対して宣戦布告し、惨敗します(このパレスチナ人の政治的ミスは致命的だったし、パレスチナ人はこの種の致命的な政治的ミスを要所要所で繰り返してきたと個人的には思っています)。

ここに至って、オスマン帝国時代のノスタルジーで曖昧なままアラビア語(やペルシャ語やクルド語)話者のユダヤ教徒として生活していた中東各地のユダヤ教徒は、「(ムスリムを中核とする)アラブ人」と「ユダヤ人」の対立を前に、ムスリムたちとの共存を諦め、イスラエルへと移住しました(もちろん、ごく少数ですが、シオニズム以前からイスラエル・パレスチナで生活していたアラビア語話者のユダヤ教徒もいたのですが)。

こうして、欧州のナショナリズムの視点からは「血統」としての「ユダヤ人」が創造され、イスラム王朝の立場からは、「宗教共同体」としての「ユダヤ教徒」という概念が錯綜することになります。

このようなオスマン帝国的なノスタルジーが残るダマスカスやイスタンブールにはいまだにごく少数ながらアラビア語・トルコ語話者のユダヤ教徒が生活しています。彼らのアイデンティティーは、シリア国籍やトルコ国籍を持つ「宗教共同体」でしょう。

また、「ユダヤ人」のためのイスラエル建国という国是を守るのに脅威になったのは、イスラエル国内に残ってイスラエル国籍を取得したアラビア語話者のムスリムとキリスト教徒です。彼らの人口増は「ユダヤ人」のそれを上回っているからです。こうして、イスラエルは世界中に散らばっていたユダヤ教の流れを汲む宗教共同体をかき集め、イスラエルに移住させることによって対抗します。

代表的な例が、エチオピアのユダヤ教の流れを汲む黒人の宗教共同体であった「ファラシャ」です。しかし、彼らの信仰は厳密には正統派ユダヤ教とは異なる部分が多く、彼らが「ユダヤ教徒」であるかどうかを巡り、議論がおきることになりました。つまり、「血統」としても「ユダヤ人」ではなく黒人である上、「宗教共同体」としても「ユダヤ教徒」であることに疑いがあるということです。

「血統」に関して言えば、そもそも欧州の「ユダヤ人」に関してすら、彼らを「血統」に基づいて差別・排除しようとした反ユダヤ主義ですら定義に失敗しましたし、アラビア語(ペルシャ語・クルド語)話者のユダヤ教徒は、当然、中東各地の人種の混合ですから、欧州出身の「ユダヤ人」とは大きく人種が異なりますし、宗教上のアイデンティティーすら共有していましたが、「血統」に基づく「ユダヤ人」として差別された歴史的記憶は共有できません。

一方で、欧州から流れてきた「ユダヤ人」は、欧州の近代化に伴って世俗化が進み、「ユダヤ教徒」としての宗教共同体の意識を持たない「ユダヤ人」もたくさんいましたし(むしろ、シオニズムの主流派はそのような世俗的な「ユダヤ人」で、社会主義に傾倒していました。これがキブツや労働党の起源です。)、イスラエルの近代国家としての発展によって、信仰を持たない世俗層は増加していきます。一方で、厳格なユダヤ教徒として生活する正統派と呼ばれる層(彼らは、「信仰に専念するため」にイスラエル国民の統合の象徴である兵役を免れている上に、政府から大量の補助金という特権を享受しています。)も根強く残り、両者の溝は深くなる一方です。

さらに、地域国家の問題も抱えています。ユダヤ教過激派は、ナイル川からチクリス・ユーフラテス川までが「神に約束された土地」であるという誇大妄想の大イスラエル主義を主張していますし、世俗派は国益のない占領にうんざりしています。

一方で、「アラブ民族主義」ですが、これもまた失敗しました。そもそもこの「アラブ民族主義」はシリア地方のキリスト教徒によって、シリア地方の多宗教・宗派のアラビア語話者が「アラブ民族」として共存するために考えられた思想でしたし、上記の通り、キリスト教徒とムスリムとベドウィンは違うアイデンティティーで「アラブ民族」を幻想していたわけです。

さらに、「アラビア語」といっても、最初に言及したとおり、各方言に分かれており、「アラブ人」の人種も多種多様です。エチオピア出身の「ユダヤ人」が黒人であるのと同様に、スーダンの「アラブ人」も黒人ですし、シリア・レバノン地方の「アラブ人」(除くベドウィン)はアナトリア半島の「トルコ人」やギリシャ共和国の「ギリシャ人」と外見も食文化も風習も共通点が多く、明らかにアラビア半島のベドウィンや、ファラオの子孫であるエジプトの「アラブ人」とも、ベルベル人との混血であるモロッコ地方の「アラブ人」とも異なっています。(これは「トルコ民族」も同様で、アナトリア半島の「トルコ民族」はシリア・レバノンやギリシャの住民に近く、故郷である中央アジアや、まして中国のウイグルの「トルコ民族」とは外見も文化も大きく違います。)

これは、簡単に説明できます。イスラム教を掲げて中東から地中海を征服したアラビア語を話すムスリムのベドウィン集団は支配地では少数派で、支配される住民は異なった言語を話す、異なった人種だったからです。例えば、シリア地方はビザンツ帝国に属していましたから、人種的にはアナトリアやギリシャと連続性があって当然で、言語もアラム語・ヘブライ語・ギリシャ語が中心だったでしょう。同様にエジプトは古代エジプト王朝の臣民の子孫が、古代エジプト王朝の言葉から発展したコプト語やギリシャ語を使っていましたし、モロッコ地方はベルベル人という先住民族がいました。血統的にも言語的にも宗教的にも「アラブ人」でもムスリムでもなかった各地のイスラム王朝の住民は1000年以上の時間をかけて、徐々にアラビア語を母国語とするようになり、徐々にムスリムへの改宗が進んだわけです。

ですから、アラビア半島のベドウィンを除くアラビア語圏各地のアラビア語話者の文化構造は2重になっています。つまりアラビア語化してムスリムに改宗する以前の古代文明や宗教や言語の記憶の上に、アラビア語によるイスラム文明が接木されています。この2重構造はさまざまな形に発展しましたが、一番明白なのは、各地の「方言」でしょう。アラビア語化する以前の言語のボキャや文法が色濃く残っています。また、各地で改宗したムスリムたちは、非アラビア語の改宗以前の宗教や思想をアラビア語に移植し、イスラム教の思想や宗派の成立に大きく影響を与えました。

例えば、今でもシリア地方の山岳部にはいまだにアラム語を話すキリスト教徒やムスリムの村落が残っていますし、シリアからレバノンにかけては、明らかにアラム語・ヘブライ語・ギリシャ語の地名が多く残っています(カディーシャ、ハダシェ、サルミーヤ、アファーミヤ)。また、シリア地方の山岳部ほど、スンニ派イスラム教が浸透せず、シーア派諸派やキリスト教諸派という宗教的マイノリティーが根強く残ったのも、こういう歴史的経緯があると考えると説明できます。

また、興味深い例が、チュニジアとシチリア島の間にあるマルタ島です。彼らは、一定の期間ムスリムの支配下に置かれ、日常会話としてはアラビア語を母国語とするようになりましたが、ムスリムへの改宗はあまり進まず、また、オスマン帝国に敗れて東地中海地方を追放されたヨハネ騎士団がこの島を統治したこともあり、住民はキリスト教徒のままで留まりました。結果、アラビア語化は中途半端なまま残り、文法構造的にはアラビア語チュニジア方言ながら、多量のボキャや文法がシチリア語やイタリア語から流入した独特の言語が成立しました。最終的にここを支配した英国から独立するに際し、彼らは自らを「マルタ人」、そのアラビア語の一つの方言とも言える言葉をラテンアルファベットで表記して「マルタ語」と定義して、EUに加盟しました。

歴史的に、この広大なアラビア語圏が統一された王朝によって統治されたことは、イスラム教のごく初期の数十年間を除いては一度も無く(しかも、当時は、支配された各地の住民たちはベドウィンによって征服された様々な民族でしたから、アラビア語話者ですらありませんでした)、各地に様々な宗派や民族集団と結びついたイスラム王朝が乱立していたのが実情です。

このような歴史的・宗教的・宗派的・地理的・人種的相違を一切無視した「アラブ民族」思想は失敗しました。

3つ例を挙げます。

●シリアとエジプトとイラクはそれぞれ、「アラブ民族主義」勢力が政権を奪取しました。が、シリアとイラクはほぼ戦争状態となり、シリアはエジプトに接近し、連合共和国を結成しましたが、この連合共和国は両国の指導部の反発により2年ほどで解体しました。

●「アラブ民族主義」を掲げるエジプトのナセル大統領は、「アラブ民族主義の革命」の輸出を国是として、王政であったイエメンで起こったアラブ民族主義勢力による反乱を支援し、ベドウィン部族による王政のサウジアラビアなどのアラビア半島の「アラブ諸国」が王政の転覆を恐れ、エジプトに対抗し、イエメン内戦は、エジプトとサウジの代理戦争となり、漁夫の利を得たイスラエルはエジプトに対し大勝利を収め、シナイ半島全てを占領しました。

(さらに指摘すれば、大イスラエル主義を唱えるユダヤ教過激派を抱えるイスラエルと同様に、ワッハーブ派を国教とするサウジアラビアという国は地域国家の問題を抱えています。ワッハーブ派は潜在的に、全てのイスラムの土地を征服し、ワッハーブ派を宣教することを「ジハード」と考えていますし、極端に言えば、キリスト教徒のレコンキスタによって15世紀に失ったスペイン南部のアンダロス地方や植民地支配によってキリスト教化したフィリピンの領有すら主張する誇大妄想を抱えています。これが、アル・カーイダのような地域国家の主権を認めないテロ組織を生み出す土壌の一つです。)

●キリスト教徒を多数派とするように意図的にフランスがシリアから切り取って作り出したレバノンでは、フランスへの傾倒が強いマロン派というアラビア語話者のキリスト教徒が、「アラブ民族主義」を拒否し、「フェニキア民族主義」を主張し、「アラブ」からの分離を求めるようになり、内戦となりました。

全ての「nation」=「国民」、「民族」はフィクションであると最初に申し上げました。しかし、だからと言って全てのナショナリズムが失敗するわけではありません。「想像の共同体」によれば、最初は「フィクション」として創造された「nation」=「国民」、「民族」という概念が、国語・国民教育や宗教教育や官僚制や軍隊や警察といった国家の制度や行為によって、その国民国家の住民の間で広く共有され、結果として「実体」があるように錯覚されるようになり、「国民」が成立すると指摘しています。

これは国家が発行する通貨が、かつては金や銀といった貴金属で発行され、やがて金本位制によって、実体として価値のあるものであった存在だったのが、紙幣となり、金本位制も廃止されたのにも関わらず、「価値」のあるものとして流通しているのと同じ構造です。

要するに、その国家に帰属している人間によって共有され、実体があると錯覚されている「フィクション」であるということです。

で、この観点から「ユダヤ人」と「アラブ人」というフィクションの「nation」=「国民」、「民族」を考えると、失敗であることがよく分かります。

両者とも、人種や出自や宗教との距離や宗派や歴史的記憶(更に「アラブ人」に関しては地理的距離や地政学的戦略性)によって、異なったアイデンティティーを「nation」=「国民」、「民族」に対して持っており、それが根本的に解決不可能であるという点で共通しています。

この失敗が運命付けられているフィクションがいまだに続いているのは、ひとえに両者が互いを敵として戦争を続けているからでしょう。

シリア地方に関しては、イスラエルとの戦争状態が解消され、一旦は盛り上がるであろうイスラム主義を乗り越えた後に、ようやく、その地理的・歴史的・文化的共通点に従って、イスラエルからトルコを経てギリシャに至る「東地中海」としての地域国家のアイデンティティーを持つようになると思いますが、恐らく数十年以上の時間が必要でしょう。

というわけで、私は「アラブ民族」の言説にも全く共感しませんし、逆に「ユダヤ民族」の起源が、中央アジアの歴史的某国だからイスラエル・パレスチナへの帰還権はないというような話にもあまり興味がありません。

どっちも、そもそも、「フィクション」なんで。

また、「パレスチナ民族」という概念も、実体を考えればやはり機能しない「フィクション」だろうと思います。

イスラエル国内に残ってイスラエル国籍を取得したアラビア語話者と、難民として土地を追われて難民キャンプで育ったアラビア語話者(さらには受け入れ国や滞在地によって権利も生活水準もニーズも大きく違いますし)と、西岸で占領下に置かれているアラビア語話者と、ガザで封鎖されているアラビア語話者が、歴史的記憶や利害や政策目標を共有できるはずがないからです。

さらに、このような構造的な差異に加え、いまや宗教との距離において、おおきく分断されてしまいました。

もはや、「パレスチナ人」が一致団結して、主体的で組織的な政策を追求することは期待できません。どれだけ、ハマスなりファトハなりの指導者がイスラエル領内に対する攻撃を取り締まろうとしても、復讐と暴力そのものを目的とする一部の過激派の行動を抑制できませんし、まして、一定の戦略で合意してイスラエルと和平交渉を進めることもできません。彼ら自身ではもう、統率をとった行動をできなくなっているのです。あまりにも長く暴力と絶望と非人道的な環境におかれすぎたからでしょう。

ですから、「パレスチナ国家」の建設こそが唯一の解決だとは思いません。もし、イスラエル国民が西岸もガザも引き続き支配したいのなら、彼らにイスラエル国籍を与えて、完全に併合し、暴力行為に対しては、イスラエル国内の刑法に従って、治安機関によって取り締まり、イスラエル国民として通常の司法手続きで処理すればいいのではないでしょうか。やっかいなエルサレム問題もヘブロン問題も解決できます。

それができないのであれば、西岸とガザをイスラエルから切り離して「パレスチナ国家」建設なりヨルダンやエジプトへの復帰なり彼らの好きなように任せて、干渉することもされることも止めればいいのです。(この場合はエルサレムやヘブロンをどう扱うかという問題が残りますが・・・)

西岸やガザを一方的に切り離したとしても、しょぼいロケットは安全保障上の脅威ではありませんし、自爆テロを阻止するだけなら、グリーンライン上に沿って分離壁を完全に建設すればいいのです。イスラエル領内にどんな壁を建設して自らの国境をどう守ろうが、主権国家の勝手で、国際社会も「アラブ」諸国もがたがたいう筋合いはありませんし。

戦略的深さという問題で西岸を手放せないという話であれば、西岸を切り離した上、友好国のヨルダンと話をつけて、ヨルダン国境の要地要地を確保して、レーダーでもイスラエル国防軍でも好きなだけ配置すれば済む話です。しかし、そもそも、偵察衛星と核兵器と長距離ミサイルと中東最強の空軍を有するイスラエルにとって、西岸のたがだが数十キロの地理的な距離がどれだけ実質的な戦略的な意味があるのでしょうか?

どっちを選択するにせよ、難民の「帰還権」は放置できます。

シリアとヨルダンのパレスチナ難民は、滞在国での生活にそこそこ満足していますから、わざわざ命を張ってまでイスラエルと戦おうとは思ってませんから、無視して放置したとしてもイスラエルにとってなんら脅威ではないでしょう。不安定要因なのはレバノンのパレスチナ難民だけですが、シリアにゴラン高原を返還して和平条約を結んで、シリアのレバノンへの「干渉」を黙認すれば、シリアはレバノンの安定的支配という自らの国益に基づいてパレスチナ難民の動向をしっかりコントロールしますよ。で、長期的には欧米が、贖罪のために彼らを受け入れればいいんです。

この現状では、イスラエルが一方的に決定権をもっていると思います。

要するに、これだけ数十年も議論して、戦争したり、占領したり、入植地をむやみやたらに建設したり、和平交渉を試みたり、切り離しを検討したり、それでもイスラエル国民として合意する最終的な地域国家としてのイスラエル国家のあり方を決定できないのは、このようなフィクションとしての「ユダヤ人」の国民統合の脆弱さの裏返しであり、戦争状態を継続しないと「ユダヤ人」のフィクションの失敗が露呈して、国家が解体してしまうという構造的な問題なんだと思います。

仁義無き殺し合いを続けることを両者が選択しているのが現状だし、両者がそう選択している以上、国際社会にできることは軍事力・経済力で圧倒的な弱者であるパレスチナ人に人道支援を続けるしかないという結論になりますが、とても悲しいですね。

これだけ関わって考え続けて得られた結論は、イスラエル人やユダヤ人やパレスチナ人に生まれなくてラッキーだったということです。私はムスリムで、東地中海が大好きですが、国民になりたいと思える国は、このような不毛な「アラブ人」と「ユダヤ人」の果てしなき戦いや、両者の誇大妄想な領有権や神の名の下の聖なる戦争や「テロ」から無縁で、普通の市民として安全に生活できるトルコ共和国だけです。


 

    この投稿に拍手    

「アラブ人/ユダヤ人」というフィクションに関する考察2008年12月20日【mixi:アブドゥさん】 tk

posted by sfu9xi | reply (0) | trackback (0)

Trackback URL:
api | terms of service | privacy policy | support Copyright (C) 2016 HeartRails Inc. All Rights Reserved.