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記事表示 - ④土地神話とBIS規制

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先に、1970年代から1980年代にかけて、欧米のインフレのために、金利が上昇し、
ために必要な額の融資が実現できず、経済停滞をまねくスタグフレーションの様相下の
話を少ししたが、

日本は石油危機をうまく乗り越え、インフレも短期で沈静し、ふたたび成長を開始した.
冒頭に、世界の銀行資産ランキングを掲げた時期ということになる.

米国の銀行銀行規制は、日本とは比較にならないほど古くから整備されており、
権限と責任の所在が比較的明確になっているものだが、
実は1980年代初頭まで、自己資本比率の重要性という点について認識されていた形跡は薄
い.
というか、リスクウエートという概念がなかったのかも知れない.

この時期、米大手銀行(連邦法適用銀行)で4%前後、
地銀(州法適用銀行・例外的に、JPモルガンなども含まれる)で6%
前後であり、当時の大手邦銀の3%前後という数値と格別な差はみられない.

で、1981年に米国内法として、自己資本比率規制というものが
つくられたとき、対象となるのは資産140億ドル以下の中小銀行で、
要はポッと出の新銀行がいけいけ路線でむちゃな営業拡大をやることを
いましめるためのもので、大銀行・ましてや国際金融をおこなうような
超大銀行には、自律性がある・と考えたのだろう.

当時のFRB議長は、おなじみのボルカーさんで、
邦銀による米国内での営業許可申請を協議する際に、常に自己資本比率
の低さが問題になり、米中小銀行に認められない自己資本比率の低さが
なぜに邦銀の子会社には認められるのか・という質疑に答える必要にせまられたのだ.
ボルカーさんは、邦銀の商慣習・つまり株の含み益を自己資本に組み入れる
やり方を支持したのだが、これでは二重基準になってしまう.
そこで、国際的に、金融機関の健全性の指標をつくろう・という
方向を模索したわけだ.

2002年11月12日9時36分
英国は70年代、キャラハン政権の折に金融危機を経験しており、
優良な自己資本の確保が、銀行経営にとって絶対・ではないにしろ
有用な安全弁になりうる・と考えていた.

そこに、独仏主導で、EC金融統合計画が進められていることへの
対抗意識も加わって、ボルカー提案に乗った.
当時の世界2大金融市場を抱える英米枢軸を梃子にすれば、
中央突破は可能・と読んだのだろう.

さて問題の自己資本比率8%の決定経緯だが、これには諸説あること
に加え、始めに数字ありき・の諸理論もどきが乱舞していて、
いちいち取り上げていてはきりがない.
興味のある方は、大きめの書店にいってください.

僕の考えは、このような大問題を仕切る最も明快な手法・
つまり足して2で割って、端数を四捨五入して決定されたというものである.
米国は、既に国内規制で5.5%という自己資本を要求していた.
ピンは一部投資銀行業務を主体とする銀行が、自己資本11-12%に
達しており、安全ライン10%・という意見につながっていく.
結局、(5.5+10)÷2=7.75、四捨五入して8%、というわけだ.

米英枢軸が出来上がれば、日本は絶対に拒否しない.欧州(大陸)の
連中は、そのあとでゆっくり料理できる・という計算が働いたのだろう.

当時(1987.9中間期)、日本の大手銀行(都市+信託+長信=23行)
のBIS原案(後のティア1に相当する)に
沿った自己資本比率は、三菱信託の3.86%〜中央信託の2.46%の範囲
にとどまっていた.自己資本総額は9兆9998億円ということになる.
一方、保有有価証券の含み益は総額49兆1627億円に達しており、
大蔵省は通達で、その70%を自己資本に組み入れることを認めていたから、
日本国内方式で計算すると、邦銀の自己資本比率は10〜14%に達する.

当時の蔵相は宮沢喜一氏で、米英日3国協議で、BIS規制は次のように決まった.
①自己資本比率は、自己資本を分子にして、リスク資産(総資産ではない)
を分母として計算する
②リスク資産は、貸し付け金・有価証券など、その項目別リスクウエートを設定する
③リスク資産には、オフバランス取引を取り込む
④BIS自己資本比率規制は、子会社を含めた連結を対象に実行される
⑤実施時期:日本以外は1993.1から、日本は1993.4から適用され、
それまでの5年間が移行努力期間
⑥自己資本の定義
株式資本と公的準備金を基本的項目(ティア1)と規定
非公表準備金・一般引当金・貸し倒れ引当金・負債性資本調達手段・
有期劣後債などで、これらをティア2と規定し、ティア1と同金額まで
自己資本算入を認める

この交渉で、米国は株式含み益の算入に反対した(グラス・スティーガル
法の存在による)が、日本は70%繰り入れ(一説には100%)を主張していた.
この時、米国側委員R・クラークは、「将来、日本の株式が急落場面に
なった場合、日本の銀行には速効的な資本調達手段があるのか」という
質問をした.特殊な会計を続けているよりも、いずれ世界標準化が実現して
いく段階で、事情が平準化されていくのだから、そのための準備は早いうち
から始めるほうが得策ではないか・という趣旨の発言なのだ.

GATTからWTOへ世界の貿易のルールが進展しようという時期だった.
金融のルール世界標準を定めよう・という会議なのだから、クラークさんの
懸念はもっともなことなのだ.
また、ボルカーさんは、邦銀の株式含み益の算入に理解を示しつつも、
バランスシートのどこをみてもそのような項目がないではないか・と指摘
し、これを機会に、公表されるようになったのである.

これに対する日本側委員の回答は、将来にわたり、日本の株式・および
その信用基盤である不動産価格は絶対にさがらない・と発言した.
ちなみに、委員とは(敬称略)
蔵相:宮沢喜一
日銀総務局長:若月三喜男
日銀総務局次長:細谷貞明
日銀理事:大田赳
大蔵省銀行局審議官:新藤恒男(途中交代)
大蔵省銀行局審議官:千野忠男
らである.

2002年11月12日10時25分
BIS規制の草案が練られた頃、単にどんぶり勘定として
8%という数字が意識されていたことになるが、
世界中の銀行には、それぞれ伝統や事情・商習慣を異にするわけで、
要はティア1とは、銀行経営の理念、
ティア2とは、各国の事情の斟酌・と理解するとよいだろう.

ドイツの銀行は、株式保有が認められていたが、同時にティア1に
属する自己資本が非常に厚く(これだけで10%を超えるものも少なくなかった)
ために、ティア2などという怪しげな資本算入・に執拗に反対していた.

フランスの大銀行の多くは国営だったから、「資本は国の信用だ」と
言い放つ始末で、結局、協定への合意はフランスが最も遅かった.
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余談だが、
僕は、この当時のドイツの銀行の姿勢を非常に好ましく感じている.
そもそも、銀行は石橋を叩いて渡る存在であるべきだ.
そして、そのような自律が望めないのであれば、次善の策として
フランスのような国営にして、われわれの代表がその経営行動を
監督するシステムを採用せざるを得ないだろう・と、いまでも思っている.

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