「マルコポーロ」廃刊事件から14年   西岡昌紀 西岡昌紀 | sfu9xi | sa.yona.la help | tags | register | sign in

「マルコポーロ」廃刊事件から14年   西岡昌紀 西岡昌紀

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(『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』 (日新報道・1997年)より−−転送、転載を歓迎します)
 


                    第一章  「マルコポーロ」廃刊事件


 はじめに、自己紹介をさせて頂こうと思います。私は、内科の医者であり、政治的には「右」でも「左」でもない無党派のい一人です。生まれたのは1956年ですから、全共闘世代よりは下の世代です。その私がこの本を書く切っ掛けになった或る事件のことから、話を始めたいと思います。その事件とは、1995年の1月から2月にかけて起きた「マルコポーロ」廃刊事件という事件です。この事件は、同誌二月号に掲載された或る記事を切っ掛けにして、大きな騒ぎが起こり、同社が「マルコポーロ」誌を廃刊にしたという事件なのですが、皆さんは、この異常な事件を記憶しておられるでしょうか?その記事とは、私が執筆した「戦後世界史最大のタブー・ナチ『ガス室』はなかった」という記事で、文芸春秋社の月刊誌「マルコポーロ」は、その95年2月号に、私のこの記事を掲載しました。ところが、私のこの記事に対して、或る団体(後述)が広告ボイコットという手段を用いて文芸春秋社を攻撃し、同時に日本政府に直接抗議するという行動を取りました。それが切っ掛けとなって、文芸春秋社は「マルコポーロ」を突然、廃刊することとしたのですが、このことは当時大きく報道されたので、御記憶の方も少なくないと思います。

 即ち、私のこの記事が載った「マルコポーロ」が発売されたのは、阪神大震災が起きたのと同じ95年1月17日のことでした。ところが、これが発売されると、私のこの記事に反発したイスラエル大使館及びアメリカのシオニスト団体サイモン・ウィーゼンソール・センターは、文芸春秋社に対して強い抗議を展開し始めました。記事の大意は、「はじめに」でも少し述べたように、ドイツが第二次世界大戦中ユダヤ人を迫害したこと自体は明白だが、「ガス室」によって「ユダヤ人絶滅」を行なったとする通説には全く根拠がなく、ユダヤ人たちには全く別の悲劇があったとするものでした。即ち、私は、ナチスドイツがユダヤ人を差別したことも、収容所に収容したことも、ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人を弾圧したことも、ソ連戦線でユダヤ系の非戦闘員を多数処刑したことも、全く事実だと考えています。これらの事柄は、それらの細部については検証が必要だと思いますが、基本的には全く事実だと認識していますし、収容所でユダヤ人に対する虐待があったこと自体も否定するつもりなどはありません。しかし、いわゆる「ガス室大量殺人」と「ユダヤ人絶滅計画」という二つの話に限って言えば、異議を唱えないわけにはいかないのです。それは、ナチスを「弁護」するというようなことではなく、ただ単純に、それが事実とは考えられないからです。理由は後で詳しくお話しするとして、結論から言うと、私は、戦後永い間信じられてきた「ガス室」の話は、連合軍が戦争中行なっていた戦時宣伝が戦後、検証されぬまま「歴史」に転化したものだったとしか思えないのです。真実は別にあったというのが私の主張ですが、それは、ユダヤ人があの時代に苦しまなかったということではなく、全く別の悲劇があったということなのです。その「別の悲劇」とは何だったのか。私は、「マルコポーロ」の記事において、大旨、以下のように論述しています。


(一)ナチスドイツは、確かにユダヤ人を差別迫害した。このこと自体には一点の疑いの余地もない。しかし、言われているように、ユダヤ民族を「絶滅」することまでは計画していなかった。「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼ばれるドイツの計画の実体は、実はユダヤ人を絶滅することではなく、ヨーロッパの全ユダヤ人を戦後、ソ連な領内などに強制移住させようとするものだった。(それは、もちろん不当なことである)。
(二)そうした「ユダヤ人強制移住計画」の準備として、ドイツは、アウシュウィッツ他の収容所にユダヤ人を収容した。また、ドイツは、それらのユダヤ人を戦争中、戦時下の労働力として利用した。ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、こうした強制移住計画は頓挫する。その間、戦争中の衛生状態悪化から、それらの収容所ではチフス等の疾病が大発生し、戦争末期に多くのユダヤ人が悲劇的な死を遂げた。
(三)ところが、こうした悲劇の後、ナチスの収容所を解放した連合軍は、そうした疾病によるユダヤ人他の死体を「ガス室」の犠牲者ででもあったかのように宣伝した。連合国は、戦争中から、戦時宣伝の一環として、「ドイツが収容所で大量殺人を行なっている」、または、「ドイツの収容所には大量殺人用のガス室が作られている」等の宣伝を行なっていたが、戦後、こうした映像などによって世界中が「ガス室」の存在を信じるに至った。そして、戦後の歴史家やジャーナリストの大部分がこうした事柄の検証を怠った結果、「ガス室」の存在は「疑いようのない事実」とされることとなった。


 驚かない方はおられないと思います。また、「そんな馬鹿な!」とお怒りになる方もおられるのではないかと思います。ですが、どうか、最後までお読みになって下さい。右(上)の結論には、皆さんが驚くほど多くの理由があるのです。もし違うとおっしゃるのであ
れば、是非、反論を示して頂きたいと思います。そして、その際、必ず証拠を示して頂きたいと思いますが、証拠が示されない限り、
私は、「ガス室によるユダヤ人絶滅」が行われたという主張を信じることはできません。(「ユダヤ人虐殺」の否定ではないことに注意)
 まず、右(上)に要約した結論(見解)は、私の個人的推理などではありません。これらは、多くの一次資料に基ずいて、過去数十年間、アメリカやヨーロッパの研究者たちが研究し、立証してきたことから論理的に導かれる「結論」です。この後詳しくお話ししますが、欧米では、「ドイツがユダヤ人絶滅を企てて『ガス室』大量殺人を行なった」とする「歴史」に、今、強い疑問が広がりつつあるのです。そうした疑問を投げかける人々のことを「ホロコースト・リビジョニスト(ホロコースト見直し論者)」と呼び、彼らの研究や主張を「ホロコースト・リビジョニズム(ホロコースト見直し論)」と呼びます。しかし、この呼び名を名乗らない人々の中にも、同様の主張をしている人は多数存在し、その広がりは、特定の政治的党派や民族とは一致しません。つまり、これは政治運動ではないのです。私は、1989年頃、彼らの存在を知りました。そして、非常に驚かされた後、徐々に文献を集め、彼らの研究内容とそれに対する欧米の「定説」側主張を数年に渡り、仔細に検討してきました。その結果、私は、彼ら「ホロコースト見直し論者」たちの論拠が非常に正確であることに驚かされたのです。そして、逆に、従来の「定説」は、実はその内容が矛盾に満ちており、かつ、科学的に不合理であるを知ったのですが、これは、私にとって衝撃的なことでした。皆さんと同様、私もアウシュウィッツに「ガス室」が存在したことを疑ったことなど全くなかったからです。しかし、両論を公平に比較検討すると、私が聞かされ、信じてきた「アウシュウィッツのガス室」は実は存在しなかったと考える他なさそうなのです。その理由はこれから詳しくお話ししますが、もし誰かが、そうした「定説」の数々の不合理を説明し、科学的証拠を示すなら、私は今すぐにでも、「ユダヤ人絶滅」と「ガス室大量殺人」の存在を受け入れます。「定説」をあえて「否定」しないと言ったのは、そういう意味です。しかし、そういう説明や証拠の提示をしてくれる人は、どうも見当たらないのです。「そんな馬鹿な!」と思われると思いますが、それについて詳しくお話しする前に、まず、皆さんが全く御存知ないと思われる、こうした議論の歴史的経緯についてお話ししようと思います。


 「マルコポーロ」廃刊事件以来、私は色々な方と対話を続けてきましたが、そこで感じたことは、私の話に感情的に反発する方がとても多いということでした。感情的に、です。全ての人がそうではありませんが、感情的に反発する方がとても多いのです。これは、日本人の多くが、アウシュウィッツなどでドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとし、「ガス室」による大量殺人を実行したとする「歴史」を疑ったことなどないからだと私は思います。現に、この「歴史」に実は疑問を投げかけられていることも御存知ない方が圧倒的に多く、仮にこうした論争の存在そのものは知っていたとしても、「そんなことを言うのは、ネオナチか何かだろう」等と思っている方が非常に多いのです。私自身そうだったから、そういう気持ちはよく分かるのですが、まず、次のことからお話ししようと思います。今日多くの人々は、「ナチのガス室」を信じて疑いません。しかし、その「ナチのガス室」については、実は、戦争直後から強い疑問が投げかけられていたのです。決して、最近、疑問が投げかけられ始めたのではなく、戦争直後から強い疑問が投げかけられていたのです。それを無視してきた最大の力はマスメディアなのですが、その問題については後でお話しするとして、先ず、次の事実に注目して頂きたいと思います。そうした疑問を最初に投げかけたのは、皆さんが想像するかも知れない「ネオナチ」とかその類の人々ではなく、実は、ナチスの被害者たちだったのです。このことに、まず注目して頂きたいと思います。例ええば、「ガス室によるユダヤ人絶滅」に異論を唱えた事実上、最初の歴史家は、ポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)というフランスの歴史家です。ところが、このラッシニエがどういう人物だったかと言うと、何と、戦争中、反ナチ・レジスタンスに加わり、ナチスの強制収容所に入れられていた左翼の知識人なのです。つまり、ナチスの迫害を受け、自身がドイツの強制収容所に入れられていた人物が「ガス室によるユダヤ人絶滅」に異論を唱えた事実上最初の歴史家だったということですが、今まで皆さんは、こういうことを御存知だったでしょうか?


 このラッシニエは、元は歴史と地理を教える教員で、戦前フランスで、初めは共産党に入党し、その後、社会党員になった人物でした。ラッシニエはまた、いかなる暴力をも否定する絶対平和主義者として知られていました。ですから、彼は、政治的にはナチズムとは全く対極の立場に在ったわけで、しかも収容所生活を自ら体験した人物が「ガス室によるユダヤ人絶滅」に異論を唱えたことに注目して頂きたいのです。
 ラッシニエは、第二次大戦でフランスがドイツに占領されると、北フランスで直ちにレジスタンス活動に参加しました。ラッシニエのレジスタンス活動は彼の思想を反映して非暴力主義的なものでしたが、それには、例えば、スイスに脱出するユダヤ人を手助けするというような活動が含まれていました。ラッシニエのそうした活動は、やがてナチスの秘密警察ゲシュタポにより察知され、ラッシニエは逮捕されることとなります。そしてラッシニエは、ドイツ本国のブーヒェンワルト収容所およびドーラ収容所に送られ、ドイツで終戦を迎えますが、フランス政府は戦後、彼のこうしたレジスタンス活動を讃えて、ラッシニエに最高位の勲章を授与しています。ですから、もうお分かりのように、このラッシニエくらい、ナチズムからかけ離れた人物は見当たらないのです。そのラッシニエが、もう一度言いますが、「ガス室によるユダヤ人絶滅」に正面から異論を提出した最初の歴史家だったのです。このことに、先ず注目して頂きたいと思います。


 このラッシニエが、戦後間もなく「ガス室によるユダヤ人絶滅」に異論を唱えた背景に、彼自身の収容所体験があることは余りにも明らかです。つまり、戦後ニュールンベルク裁判やマスメディアによって語られ出した収容所像は、ラッシニエが自分で見て体験した収容所の実像とはかけ離れたものだったということです。それが元レジスタンスのラッシニエにこのような異論を唱えさせることになったわけですが、皆さんは、このことをどうお考えになるでしょうか?私は、皆さんにこのことを強く意識して頂きたいと思います。それは、私たち日本人が戦後ずっと信じ続けてきた「ナチスの収容所」のイメージもまた、ラッシニエを驚かせたニュールンベルク裁判や戦後メディアの語ってきたものだったからに他なりません。つまり、私たち日本人が信じてきた「ナチスの収容所」のイメージの基礎に、実は、ナチスの被害者が、戦争直後、異論を唱えていたということなのです。詳しくは、これからの本論で論じることとしましょう。いずれにせよ、皆さんの多くは、これまでこういうことを全く御存知なかったのではないかと思うのです。


 ラッシニエの他にも、やはりナチスの迫害を受けて収容所に入れられていたフランスの左翼知識人ミシェル・ド・ボユアール(Michel de Bouard)なども広く信じられている収容所のイメージに異論を唱えています。また、ブルグ(Burg)というユダヤ人は、収容所生活は経験していませんが、戦後間も無い時期にポーランドで収容所を実際に訪れるなどして、やはり、今日広く信じられている「ガス室によるユダヤ人絶滅計画」という話に否定的な見解を表明し続けているのです。このように、日本では全く報道されてきませんでしたが、日本人が信じ続けてきた「ガス室によるユダヤ人絶滅」という「歴史」には、戦争直後から、それもナチスに迫害された側の人々から、異論が唱えられていたのです。ユダヤ人の中からも「ガス室による民族絶滅」への疑問が上がり続けているこうした「ホロコースト見直し論」の思潮は、しかしながら、戦後永い間、日本でも欧米でも、マスメディアによって圧殺されてきたのです。皆さんが、今この本を読んで驚いているとしたら、それも、マスメディアが皆さんにこうした議論の存在自体を知らせずにきたからに他なりません。マスメディアが何故この問題を封殺してきたかは後で考えたいと思いますが、前出のラッシニエも、当時フランスのマスメディアによって、その証言と研究を無視され続けています。それどころか、彼は、フランスのマスコミから大変な攻撃にさらされてしまうのです。こうした状況は、基本的には今日まで続いており、「マルコポーロ」廃刊事件の背景にもなっているのですが、近年、アメリカやヨーロッパでは、こうしたメディアの圧殺にも拘らず、「ホロコースト」の「定説」に疑問を投げかける声がますます高まりつつあります。これは、過去数十年間、欧米のホロコースト見直し論者たちが主著してきた事柄が強い説得力を持っている証拠とも言えますが、そうした人々の中には、今日でもやはり、明らかに反ナチスの立場に属する人々やユダヤ人までが多々含まれているのです。


 例えば最近、フランスのロジェ・ガロディー(Roger Garaudy)という哲学者が「ガス室によるユダヤ人絶滅」に正面から疑問を投げかける著作を発表しています。ところが、このガロディーという人は、フランス共産党の理論家として有名だった人なのです。およそ「ナチスの弁護」などとは縁遠い人ですが、さらに重要なことは、ピエール神父という、有名なキリスト教の神父が、ガロディー氏のこの本を事実上、支持したということです。このピエール神父という人は、ラッシニエと同様、大戦中ユダヤ人を助けたことで知られ、「(フランス)国内で最も尊敬される人物」(朝日新聞1996年5月8日)とすら言われている人ですが、そのピエール神父までが、「ホロコーストをタブー視せずに、事実を探究すべきである」と発言したのです。(同神父は、後に発言を修正しましたが)このニュースは日本でも報道されたので、ここにその記事の一つをお見せしますが、皆さんは、この事実をどうお考えになるでしょうか?


 また、アメリカのプリンストン大学には、アーノ・メイヤー(Arno Mayer)教授という高名な歴史学者がいます。この人は、ユダヤ人で、かつ、左翼として有名な学者です。また、祖父の一人はナチスの収容所で死亡しており、自分自身、幼少の頃ナチスを逃れて家族とともにヨーロッパからアメリカに逃れて来たという体験の持主です。ところが、このメイヤー教授が、80年代後半から、ナチスがユダヤ人を意図的に絶滅しようとしたという従来の「定説」にも否定的な立場を表明しているのです。そして、「ガス室」の存在そのものまでは否定しないものの、アウシュウィッツなどで死亡したユダヤ人の多くは、実は「ガス室」で殺されたのではなく、病気などで死んだのだと主張して、大きな波紋を投げかけているのです。今挙げた人々は、自分たちのことを「リビジョニスト」とこそ呼びませんが、このような経歴や思想の持主でありながら、「ホロコースト」の「定説」に正面から疑問を投げかけているわけです。他にも、前出のブルグとか、コウル(Cole)とか、「ガス室」の存在そのものに疑問を提出しているユダヤ人が幾人もいるのです。(ちなみに、このコウル氏は、「マルコポーロ」廃刊事件の際、私を支援したいと言って、自費で来日して記者会見などに参加してくれています)


 こういうことを最初にお話ししておくのは、欧米のマスメディアなどが、前述のように、こうした論議を圧殺しようとする一方で、「ガス室」や「ユダヤ人絶滅」といった事柄に疑問を投げかける者は皆「ネオナチ」や「右翼」だと言わんばかりのキャンペーンを永年に渡って繰り広げてきた状況があるからです。日本でもこうしたことを言う人がいますが、彼らの言っていることと現実の間には大きな差があることを、私は皆さんに知って頂きたいと思います。「ホロコースト・リビジョニズム(見直し論)」は、政治運動ではありません。ですから、逆に、「ガス室によるユダヤ人絶滅」に疑問の声を上げる人々の中には様々な党派の人々がいるわけであり、研究者は別として、これを支持する多くの人々の中に右翼的な個人などがいることは否定しません。しかし、このように、どう考えてもナチスに同情するような個人的背景や信条とはかけ離れた人々−−元レジスタンスやユダヤ人など−−の間から「ガス室によるユダヤ人絶滅」に疑問を投じる声が戦後、何十年にも渡って上がり続けて来た事実を、皆さんは一体どうお考えになるでしょうか?私自身が、「右翼」とか「ネオナチ」といった類の者ではないことは、今さら説明する気もありません。後で詳しく述べますが、これだけ「ドイツはユダヤ人を絶滅しようとした」と言われながら、実は、ヒトラーが「ユダヤ人絶滅」を命令したことを示すドイツ政府文書は、一枚も発見されて居ないないのです。また、これも後でお話ししますが、連合軍は、ナチスの収容所で、衛生状態の悪化による多数の病死者の死体は発見し、撮影しているものの、肝心の「毒ガス」で死亡した死体は、実は一体も発見していないのです。そして、今日、アウシュウィッツなどで「ガス室」の実物として展示されている建物は、本物の処刑用ガス室としてはその位置や構造があまりにも不合理で、本当に戦争中「ガス室」として使用されていたものとは考えられない。つまり、ポーランドの共産主義政権かソ連が戦後、捏造したものとしか考えようがないのです。加えて、先ほど述べたこととも関連しますが、「ガス室大量殺人」が行われていたとされる収容所に入れられていた人々の中には、実は、「ガス室」など見たことも聞いたこともないという人々−−ユダヤ人他の人々−−が多数いるのです。(後述)詳しいことは後でお話ししますが、こうしたことが、前述した欧米のホロコースト・リビジョニスト(見直し論者)やそれに近い人々によって、研究、指摘されているわけです。−−


 欧米で、これらの人々が、何故「ガス室」や「ユダヤ人絶滅計画」に疑問を投じ、「ホロコースト」(この言葉の定義は人によって違い、混乱が目立ちます)に関する再検討を唱えているのか、その論拠は、次章以下で詳しくお話し致します。しかし、「マルコポーロ」廃刊事件に話を戻せば、私の記事が、こうした欧米での議論の一部を紹介し、私自身の判断を述べ、そして、私にはナチスのユダヤ人政策を支持するつもりなどないと明快に述べたものであったことは、ここで思い出し、或いは知って頂きたいと思います。あえてこれを言うのは、この廃刊事件の際、「マルコポーロ」が書店で入手しにくくなり、私の記事を読めなかった、という方がとても多いからです。この記事自体については、満足の行かない点や、私の不勉強から不正確な記述をした部分もありました。後で述べますが、「毒ガス」のチクロンBの物性に関して、それを加熱することも意義を強調し過ぎたことなどがそうです。(後述)また、本文中での「ホロコースト」という言葉の定義が不正確だったために、誤解を生んだ点もありました。こうした間違いや不明確さについては、大いに自己批判をしたいと思います。それから、シリーズ企画の第一弾として書いた記事だったので、意図的に書かなかった論点もありました。しかし、私の結論は今も同じです。また、ユダヤ人に対して公平な記事であったことは自負しています。ところが、私のこの記事に対して、東京のイスラエル大使館とアメリカのシオニスト団体サイモン・ウィーゼンソール・センター(略称SWC)は、「マルコポーロ」同号発売間もなく、同誌を発行する文芸春秋社に対して抗議を開始しました。これに対して、「マルコポーロ」編集部(当時、編集長・花田紀凱氏)は、反論のページをすることを申し出ました。しかし、イスラエル大使館及びSWCは、これを断りました。その理由は明らかではありません。そして、イスラエル大使館とSWCは、記事を書いた私には何も抗議はしませんでしたが、「マルコポーロ」編集部に対しては、ますます強硬な態度を取ったのでした。特に、後者(SWC)からの抗議は激烈で、彼らは、「マルコポーロ」のみならず、文芸春秋社全体に強烈な圧力をかけました。その圧力とは、広告ボイコットと呼ばれる手法で、SWCは、文芸春秋社の雑誌に広告を出す内外の企業に対して、広告の中止を呼びかけたのでした。

 このSWCという団体は、一口に言えば、ユダヤ人社会における過激なナショナリストで、世界のユダヤ人を代表するような団体とは言えません。彼らは、世界のあちらこちらで、彼らが主観的に「反ユダヤ的」と見なした言動や個人に攻撃を加えていますが、その「反ユダヤ主義狩り」が余りにも過激なため、ユダヤ人の中にもSWCを批判する人は少なくないのです。後で触れますが、この事件の際、イスラエル大使館とSWCの間には、実は、かなりの距離がありました。それどころか、イスラエル大使館の高官は、SWCのこうした行動に批判的であったかも知れないのですが、「マルコポーロ」廃刊事件の際、こういうことをはっきり指摘する新聞は、殆どありませんでした。こうした報道のために、この廃刊事件の意味そのものが、随分、誤解されたように思えます。もう一つ重要なのは、私が記事の中で言及したポーラン政府の反応です。これも後で触れますが、私が記事の中で、アウシュウィッツの「ガス室」は、ポーランドの共産主義政権かソ連が捏造したもの、と断定したにも拘わらず、ポーランド大使館(政府)は何故か全く沈黙し、抗議そのものをしていないのです。一体何故、「ガス室を捏造された」と名指しされたポーランド政府は、抗議も反論もしなかったのでしょうか?


 こうしたことの結果、同年一月三十日、文芸春秋社は突然、「マルコポーロ」の廃刊を決定しました。文芸春秋社は、記事を書いた私には一言も事前の連絡をしないまま、私の記事内容を全面的に否定する声明を出してこの発表をしましたが、これには本当に驚きました。言うまでもないことですが、いかなる雑誌であれ、その雑誌が自分で載せた記事を著者に一言も相談せずに否定するなど、普通ならするわけがありませんし、出版倫理上も許されるわけがありません。ところが、そういうことが現実に起きたのです。こうした当時の経緯については、当時の新聞をお読み頂きたいと思いますが、事件直後、ジャーナリストの篠田博之氏(月刊「創」編集長)と、江川紹子さんが、雑誌「創」誌上で、それぞれ次のように書いておられるので、ご紹介したいと思います。
「もし誤りを犯したというなら、少なくとも次号の『マルコポーロ』で徹底的に誌面検証するべきだった。突然の廃刊は、そうした検証や議論を全て封じ込めてしまったのである。(中略)『週刊金曜日』で本多勝一編集長らが、今回の件で雑誌を廃刊にするなら、南京大虐殺は幻だったというキャンペーンを張った『諸君!』お廃刊にするべきではないか、と主張しているが、こういう主張が出てくるのは当然だろう。」(篠田博之「文芸春秋・田中健五社長の憂鬱」・『創』95年4月号)

 また、江川紹子さんは、こう述べておられます。
「第一に、問題の記事をどう考えるかという点だ。私は前述のように、この記事を支持しない。(中略)第二の問題点は、サイモン・ウィーゼンタール・センターのとった、広告ボイコットという手法についての評価だ。(中略)この点についての私の結論を申し上げる。ウィーゼンタール・センターの今回の手法は、民主主義のルールを踏み越えていると思う。クーパー師は「広告拒否という強硬手段は異例なことだった。ボイコットは大変深刻な場合のみである「と述べたが、私はその答えでは納得できない。『マルコ』側は反論の機会を用意していた。(それが同じ号に掲載するべきだったことは前述の通りだが)。『マルコ』に西岡氏の記事の倍のスペースを求めて、同センターが調査したホロコーストの実態を伝えることもできた。あるいは謝罪を求めるにしても、『マルコ』で出された記事については『マルコ』誌上で詫びさせるのがスジだろう。ところが、同センターはなんの交渉もせず、広告主へのボイコット要請を行なった。(私の手元にあるマイクロ・ソフト宛のボイコット要請文書は1月19日付である)。当初から広告による圧力を行ったのだ。仮に文春あるいは『マルコ』編集部の側に交渉の誠意がない場合は、このような強硬手段もやむを得ないだろうが、この場合はそうではない。日本の出版社の多くは、広告収入に大きく依存している。文春関係者によれば、定価五○○円の『マルコ』の場合、広告がまったくなければ一七○○円で売らなければ採算が取れないという。そのうえ、同社の看板雑誌である『文芸春秋』(同社社内では『本誌』と呼ぶ)にまでボイコットの波が寄せられて来た。広告拒否というのは、一種の力による威圧だ。」(江川紹子「『マルコポーロ』廃刊事件で何が問われたか」同)
 このお二人が述べていることをどう受け止めるかは、私の見解に対する評価によっても異なることと思います。それは、これからの本文を読んで頂いた上で、もう一度考えて頂くこととしましょう。しかし、この時、お二人は、私の見解その物は支持しておられません。それにも拘らず、こういうことを書いておられることに注目して頂きたいのです。即ち、私の意見それ自体には全く賛成していない篠田氏と江川さんが、このように文芸春秋とSWCの行動を批判しているのです。だからこそ、お二人の発言には意味があると思います。

 ところが、それとは対照的に、当時の新聞や雑誌の多くは、SWCが取ったこの広告ボイコットという手法の是非については、論評を避けています。これは、広告の問題というものが、ジャーナリズムにとって、それほど大きなタブーだということなのかも知れません。しかし、それはともかくとして、事件直後に記者会見などで繰り返し言ったことですが、私は、私の記事に対する批判は喜んで聞き、求められれば、公開討論をするつもりでしたが、この気持ちには、今も全く変わりがありません。そもそも、私の記事が間違っているとか、「公正を欠いている」とかいうのなら、堂々と議論をして私を論破すればよいはずです。それこそが、読者の前で、私の主張が「間違っている」とか、「公正を欠いている」とかいう彼らの主張を証明し、読者を納得させる最善の方法だったはずです。SWCが何故そうしなかったのか、皆さんは、不思議だとお思いにならないでしょうか?

 しかしながら、彼らは、言論による反論を選ばず、前述のような広告ボイコットという手法を選んだのでした。SWCは、それに加えて、一雑誌の記事に関して日本政府の行動を要求するという、驚くべき行動に出たのですが、これは、彼らが、日本政府に言論への介入を要求したということです。この驚くべき要求に対して、日本政府が実際に「行動」に出たことは、私自身が直接に知っていますが、これは、日本政府が、外国の団体に動かされて自国の言論に介入したということです。皆さんは、これを異常なこととお思いにならないでしょうか?(実際、「マルコポーロ」廃刊前後、複数の中央官庁が、私と他の関係者に強い圧力を加えていますが、大部分のマスコミは、このことを報道しようとしませんでした。)文芸春秋社が「マルコポーロ」廃刊を決定した直後には、前述の広告圧力だけでなく、さらに複雑な動きが働いていたという分析もあります。それは、日本の国連常任理事国入りや、中東での日本企業のビジネスにこの問題が影響することを一部の人々が恐れたことが影響した、といった分析ですが、詳しいことは不明です。ただ、私個人は、SWC自身の影響力よりも、日本側関係者の過剰反応が事態の推移を左右したという印象を持っています。例えば、この広告ボイコットも、SWCのボイコットに応じたのは、意外なことに(?)、外国企業よりも日本企業が多く、また、広告ボイコットが成立しない可能性も相当あったことを、私は当時の文春関係者から聞いています。これは非常に興味深いことで、「マルコポーロ」廃刊事件に関する最大のタブーは、このように、シオニスト・ロビー(SWC)のボイコットに、実は言われているほどの実効力がなかったということの方ではないかと、私は思っています。逆に、日本人の方が、SWCの影響力を過大に見ていたということで、それを過大に見せたものの一つは、当時の外務省の行動のように思われます。


 SWCや「ユダヤ人」の影響力を過大評価することは、事件当時、顕著に見られたことですが、後で述べるように、私は、この団体(SWC)やシオニスト・ロビーには、このように、実は一部で考えられているような力はないと思っています。そして、ユダヤ人の影響力に対するそうした過大評価こそが、ユダヤ人に対する偏見を増大させるのではないかと思うのです。SWCの広告ボイコットは、「マルコポーロ」廃刊の少なくとも切っ掛けにはなりましたが、もし、「マルコポーロ」が廃刊された結果、日本社会の一部に「ユダヤ人は怖い」というような偏見が生まれたとしたら、これほど私や花田紀凱「マルコポーロ」編集長(当時)の心情とかけ離れたことはありません。しかし、「ユダヤ人」に関するそうした誤ったイメージは、皮肉にも私や花田編集長を攻撃するマスコミによって醸成されてしまいましたし、事件は、私や花田編集長のこうした心情すら理解されないまま、不透明な幕引きで「終結」させられてしまいました。あったのは、議論を避けた冷やかし報道と感情的な反発ばかりで、肝心の私の記事内容は、殆ど全く議論されることはなかったのです。また、漫画家の小林よしのり氏などは、差別問題などではいいことを書く人ですが、この事件では、事実と違うことを取材もしないまま書いています。(私は、氏に「マルコポーロ」の原稿を送ってなどいません)。
「マルコポーロ」の話は、これで終わりです。問題は、歴史の真実が何であったか、です。文芸春秋社内の抗争とか、そういう、どうでもいい話はもうしません。これから、その歴史の真実が何であったかを考えてみようではありませんか。−− (第1章終はり)



                          (続く)


(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか?」(日新報道・1997年)18〜40ページより)


http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/ref=cm_cr_pr_product_top


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(転送・転載を歓迎します。)



参考サイト
http://www.ihr.org/
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html

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