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パールハーバー(真珠湾攻撃)までの真相

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はじめに

 1941年12月7日のパールハーバー攻撃に至った出来事の真相は、貴方方に知らせる事
が出来る機会を得た事を、私は大変嬉しく思います。この攻撃は、合衆国政府の高官層の中で
動いていた「汎世界銀行カルテル」とその代理者達によって引き起こされただけでなく、待望
され歓迎されました。平和を愛する日米両国民の上に落ち掛かったこの惨劇を回避する為に、
事前に十分な警告が可能であった事は、当時よく分かっていたのです。
 この同じ「汎世界銀行カルテル」当事者は、国際警察軍と世界統一通貨を持つ、国際連合タ
イプの統一世界政府による世界独裁制——人民の解放でなくその奴隷化の為の——を画策した
。彼等は日本とアメリカの偉大な文化と伝統を貶め、破壊する方途を探していたのです。世界
平和を推進すると云う見せ掛けの下に、意図的に第二次世界大戦を起こしたのでした。
 其の同じ国際線総謀略者と其の手先は、中国を毛沢東と其の追従者に渡す為に、第二次大戦
の終了を故意に遅らせました。中国大陸に貴方方の敵を作り上げつつある間に、彼等は国際共
産主義に東ヨーロッパを手渡してしまったのです。
 彼等は赤色ロシアに北朝鮮を取り込ませる為に、意図的に戦争を長引かせました。そして貴
方方の咽喉部の戦略的重要地を彼等に与えるべく、樺太と千島を売り渡したのです。
 無辜の男女、子供を大量殺戮し、ベビーベッドに寝ている赤ん坊を生きながら焼いた広島と
長崎への原子爆弾の投下を命令したのは、アメリカにおける外交問題評議会(The C
ouncil on Foreign Relations 以下CFRと略す)と一身同体の、此等の戦争謀略者達でした
。この残忍な凶行を上回るものは、只ドレスデンの虐殺(訳注・アメリカ・イギリス空軍の爆
撃による。死亡者は38万人に上った)があるのみです。日本政府が和平への公式の提案を行
った後に——私は繰り返す、後に——広島と長崎の破壊が命令された事を、私は以下に示すつ
もりです。

コロンビア特別区ワシントン リバティロビー 委員長 カーチス・B・ドール大佐

 本稿は、ナショナル・エデュケーター紙(The National Educator)
の報告者アンソニー・ヒルダーがカーチス・B・ドール氏にインタビューした、其の対談記録
である。カーチス・B・ドール氏は、ルーズベルト大統領の養子であり、当時ホワイトハウス
と国務省の中で進行した秘密の計略を知りうる立場にあった。現在生存する如何なるアメリカ
人にも増してドール氏は、当然非難さるべき人達を浮かび上がらせ、「真珠湾攻撃(パールハ
ーバー)」の全体像を適切に展望する事の出来る唯一の人物である。<INSTITUTE 
FOR HISTORICAL REVIEW>
『操られたルーズベルト』 馬野周二著 プレジテント社から
原文
"The War Lords of Washington: Secrets of Pearl Harbor: An Interview with Col. Curtis
B. Dall"

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1507/1507011apologize.html
●私は戦争を造るのだ

ヒルダー
 現在生きている全ての愛国的アメリカ人は、あのアメリカ史上最悪のパールハーバー(真珠
湾攻撃)での損失の壊滅的衝撃を経験しています。しかし我が政府内にこのような行動を挑発
した者がいたと信じる事は、我々の今までの考えをぐらつかせるものですね。この角度から話
を進めて頂けませんか。
ドール
 その角度からの疑問は、どうしてこの様な大規模な奇襲が可能であったのかと云う、最もな
問いを代表するものです。アメリカ人はテニソンの詩「軽騎兵」の中の”誰かがしくじった”
と云う下りを確かに思い出すでしょう。しかし更に多くの事が隠されているのです。「しくじ
り」と名付けられているよりもずっと酷い事が、つまり、それはそうなる様に計画されていた
のです。
ヒルダー
 そうするとある強力なアメリカ人——そしてアメリカにおけるある勢力——が真珠湾攻撃(
パールハーバー攻撃)を起こさせる様に秘密裏に動いたと、貴方はおっしゃるのですね。
ドール
 正しくその通りです。其の事はハリー・エルマー・バーンズ博士とチャールズ・カラン・タ
ンシル教授のような歴史家、ロバート・A・セオボールド及びハズバンド・E・キンメル提督
のような軍人が同様に結論付けています。
ヒルダー
 彼等専門家が特別な証拠とした所を明らかにして頂けませんか。
ドール
 勿論ですとも。例えどんなに完璧になされた計画でも、誰かが”豆を零す”ものです。其れ
は正しく当時の陸軍長官ヘンリー・L・スチムソンが、彼の1941年11月25日の日記で
犯したところです。スチムソン長官は次の様に述べています。

「問題は如何に彼等(日本人)を誘導して、我々が余り大きな
損害を蒙る事無く、最初の弾を撃たせるかだ。これは難しい計
略だ」

ヒルダー
 其れはアメリカの見えない政府——外交問題評議会(CFR)と呼ばれた機関の構成員から
漏れて来た、びっくりする告白ですね。大佐、どうして彼等は日本を誘い込み、動かして第一
撃を打たせようとしたのでしょうか。
ドール
 ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返して見て
、私の以前の岳父、或いは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むと云う陰謀に
専ら関わっていたと、私は悟ったのです。其れを知って私の心は張り裂けんばかりでした。こ
れは「裏口」からヨーロッパの戦争に入る事を可能にする計略でした。
 アメリカ国民は日本との戦争を欲していなかった事を彼は十分に知っていて、其れ故にこそ
、いかなるコストを払っても戦争をアメリカ国民の頭上に押し付けなければならなかった。か
くて欺瞞に満ちた諸々の事が舞台に入り込み、アメリカ国民の激しい怒り、感情的爆発を起こ
す「事件」を創作する事が必要になったのです。其処でこの怪しげなマントが、巧妙に日本人
の肩に掛けられなければならなかった。これが
スチムソンが「難しい計略」だと書いた理由なのです。
 当時、其の計略は、ますます難しくなっていました。と云うのは、ドイツの指導者は、アメ
リカとの戦争を欲しないし、ルーズベルト大統領と彼の主義上の、又政治上の操り師達は、大
部分が汎世界銀行カルテルと其の親シオニストの友人達で、彼等は共産主義勢力が政治的、金
融的にドイツをしっかりとコントロールして、幾百万の人達を支配するのを見たいと考えてい
た。罠は甘く仕掛けられ、日本は其の中に落ち込んだのです。
ヒルダー
 今の説明で、何故彼等が日本を操って戦争へ駆り立てたかが分かりました。しかし、スチム
ソン陸軍長官が何故其れは「難しい計略だ」と言ったのでしょうか。
ドール
其れはね、日本の豊田外相、ワシントンの野村大使、そして特派されていた来栖氏が、アメリ
カ及びイギリスと折り合えるように、真剣に交渉していたからなのです。東京にいた我々のジ
ョセフ・C・グルー大使でさえも、ハル国務長官に豊田外相の提案を伝達した時、

「日本とアメリカの間にまったき不毛の戦争の起こる可能性がまずます
高まるのを避ける為に、本官の持つあらゆる影響力を賭して、次の様に
勧告する。『深い祈りを込めた考慮なしに、この日本の提案を斥けない
ように……機会はここに提出された……最高の政治行動として、太平洋
の平和に対する克服不可能な事態の到来を避ける機会はここに呈示され
ている』この機会を逃したならば、太平洋の平和の機会は明白に克復不
可能なものとなろう」

と意見を具申しているのです。
ヒルダー
 ハル長官は同様に外交問題評議会(CFR)のメンバーでしたか。
ドール
 疑いも無くそうでしょう。
ヒルダー
 その時の日本の条件はどんなものでしたか。
ドール
 11月7日、豊田外相はグルー駐日大使に次の様に語りました。

「日本政府は4年前の状態に戻す事に合意し、其の為に行動する用意
がある。しかしアメリカは、過去4年間に進行した事態を、事実上一
瞬の内に元に戻す事は、大変な大事業である事を理解すべきだ」

 日本は、松岡外相と近衛公爵が1940年11月に、ジェームス・E・ウォルシュ神父(彼
は赤色中国の監禁から1970年6月になって釈放された)を通じてワシントンに提案した条
件を事実上、再提案したものだった。タンシル教授は次の様に述べている。

「ニューヨーク州マリノールにあるカトリック海外伝道協会の総会長
ジェームス・E・ウォルシュ神父に対して、松岡外相は、<日本政府
は一つの平和協定を話し合う用意がある>と云う事を大統領に印象付
けるよう特別な任務を逐行して貰いたいと語った。その協定は、日独
伊三国同盟条約における彼等の役割を抹消し、中国から全兵力を撤収
し、地理的、政治的統一を中国に回復させるというものであった」

 明らかにルーズベルト大統領とハル長官は、1940年1月における「日本の中国における
作戦の放棄」(*)と云う融和的提案を殆ど完全に無視し、11月の日本提案さえも10ヶ条
に上る最後通告によって蹴ってしまったのだ! 四年の後、1945年11月15日、アメリ
カ下院調査委員会で証言したスチムソン、ハル、ノックス各長官、スターク提督の秘密会合に
おいて、次の様に述べた事を告白しています。

「日本人は無警告で攻撃すると云う悪名が高い。日本に最初に撃たせ
ると、危険もあるが、アメリカ国民の完全な支持を得る為には、確実
に日本人に最初に撃たせる事が望ましい」

 この最高首脳会合の翌日1941年11月26日、ハル長官は10ヶ条の敵意に満ちた要求
を突き付けて、日本の融和的提案を斥けた。其れについてタンシル教授はこう書いている。

「彼も大統領も、この提案が日本によって斥けられる事は知っていた。
妥協や調停の考えは全く無かったのだ。実際上(其れは命令した)
『日本政府は中国及びインドシナから全ての陸軍、海軍、警察力を撤
退させること』……次の段階が戦争である事は明らかであった」

 私は後で述べますが、これらの最終条件はヘンリー・モーゲンソー財務長官の補佐官ハリー
・デクスター・ホワイトによって、ハル長官に示されたものでした。ホワイトは外交問題評議
会(CFR)の一員であり、後になって共産党のエージェントの一人だった事が分かったので
す。

ヒルダー
 モーゲンソーは外交問題評議会(CFR)のメンバーだったのですか。

ドール
 ほぼ間違いなくそうだったでしょう。大統領と其の長官達が予期したように、栗栖大使はこ
の酷い文書を見て「此れは最後通牒を意味すると理解出来る」(**)とハル長官に述べた。
其の結果12月6日、日本は野村大使に返事を送った。我々の諜報機関はパープル・コードと
呼ばれていた日本の暗号をずっと解読していたので、其れを傍受し解読した。ルーズベルト大
統領は、14条項の内初めの13項目を読んだ時、「此れは戦争だ」と言って、その文書の意
味する所を正確に読み取ったのです。
 勿論その通りでした。他の人達と一緒に、彼はそうなる様に謀ったのですから。

ヒルダー
 もう一度繰り返して下さい。

ドール
 いいですとも、私は「彼がそうなる様に計画した」、と言ったのです。

ヒルダー
 ルーズベルト大統領も外交問題評議会(CFR)のメンバーでしたか。

ドール
 そうです。12月7日の其の日曜日の朝9時、奇襲攻撃の約4時間前に、スターク提督は彼
の部屋で14項目の日本の返事を受け取り、一緒にいたマーシャル将軍に向かって叫んだ。

「大変だ! 此れは戦争だ。直ぐキンメルに知らせなくちゃ」

ヒルダー
 もし彼が電話でキンメル将軍に通報していたとすれば、奇襲は避けられたでしょうか。

ドール
 はい、私はそう思います。ロバート・A・セオボールド提督は『真珠湾最後の秘密』の中に
、電話連絡はされなかったと云う事実を書いています。今でもアメリカの大衆に完全には明か
されていない、何らかの強い力或いは圧力が、キンメル提督に適切、迅速に警報する事を止め
たのです。キンメル自身が私にこう語りました。

「スタークは『我々はキンメルに無電を打って、警戒させなければ
ならん』とマーシャルに言いましたが、彼は其れを止め『其れは止
めよう、そうすると日本人に気付かれ、事態を複雑にする。私は後
から彼に電報しよう』。彼は確かに、商業通信線を使う普通電報で
私に知らせたのです。至急便では無く、普通便扱いで。(其の結果)
全ての爆弾が落ちてしまって約2時間後、確かに私はマーシャルの
電報を受け取ったよ」

ヒルダー
 マーシャルも外交問題評議会(CFR)のメンバーですか。

ドール
 確かにそうでしょう。

ヒルダー
 マーシャルの行動はとても理屈に合いませんね。日本人に探知されると事態を複雑にするか
ら、キンメルへの通報を止めさせると云うのは、大変不思議ではありませんか。

ドール
 勿論非常に不思議です。平和へのアメリカ人の強い希望と要求に反して、我々を第二次世界
大戦に引き込む為に、ルーズベルト大統領及び外交問題評議会のトップアドバイザー達によっ
て計算された情け容赦のない戦術を、これは明らかにするものです。
 セオボールド提督は更に次の様に述べています。

「奇襲攻撃の決定に影響を与える如何なるチャンスも逃さず潰しておくと云う事が大事だった
。あの日曜日の朝ハワイに通報しなかった唯一の理由は……ワシントンは日本の攻撃の効果を
減らす僅か一言の通報も、間に合うように送る事を拒否したのです。……この事に対する只一
つ考えられる理由は——つまり日本がアメリカに戦争しようと云う最後の一瞬になっても、攻
撃の機会を躊躇わせる可能性を排除しようとしたのです。これがルーズベルト大統領がアメリ
カ軍の行動を縛ってしまった理由でしょう」
 ルーズベルト大統領はアメリカ国民に「攻撃を加えられた場合を除いて」外地での戦争に息
子達を送りはしないと繰り返し保証していた。ところが、彼は同時にチャーチル首相に何とか
して我々の国を持ち込もうと約束していた。彼は首相に「私は決して宣戦はしない。私は戦争
を作るのだ」と語っているのです。

ヒルダー
 大佐、もう一度繰り返して頂けませんか。

ドール
 宜しい。ルーズベルト大統領は言いました
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。

(これが、アメリカの軍事戦略の中枢の戦略である。決して防衛の為の戦争ではなく、囮捜査
と司法取引をする国であり、それと同じ意味する犯罪教唆の罪を犯している悪質な犯罪国家の
軍事戦略をする国である事を忘れないで欲しい。共産主義戦略も基本的にアメリカと英国の中
枢(ユダヤ)から出て来た軍事戦略の一つである。アメリカの戦略は、基本的にユダヤ戦略の
一つ「必要とあれば我々の工作員(Agentur)を処刑して、我々が秩序回復の救い主と
して登場する(偽善行為)。」「経済的好況と恐慌を演出し、暴民をして我々の邪魔者を一掃
させる。」「偽瞞の外交技術の必要。」「組織的な偽瞞の技術を発展させよ。」「各国法と国
際法は、非ユダヤ人の文明を破壊する為に利用されねばならない。(今のアメリカ軍在留がそ
うでしょう)」の二つの戦略を用いて英国の清教徒革命以降の共産主義革命である。全てが国際金
融財閥の戦略の一つである。本当の反共・自由主義戦士とは、これらのユダヤの偽善を使って
の軍事戦略を反対し、「自由」と「放縦」の違いを区別する「愛のある10善戒」を守り、正直に生き
る人達である事を忘れないで欲しい!愛)

ユダヤ戦略
●日本を挑発せよ

ドール
 このようにして真珠湾攻撃は、戦争に向かって微妙な政治的罠を、ルーズベルトに成功させ
たのです。この破局の一ヶ月後チャーチルは議会でこう語っています。

「アメリカは自身が攻撃されなくてさえも、極東の戦争に加わり、
かくて最後の勝利が保証される、と云う可能性は、私がルーズベ
ルト大統領とこれらの問題を語り合った大西洋会談(1941年
8月14日)以来のものである」

 チャーチルのこの驚くべき暴露に対して、ミシガン選出のヴァンデンバーグ上院議員は次の
ような驚愕したコメントで応じました。

「言葉を換えて言えば、チャーチルは初めてルーズベルトに会い
大西洋憲章を書いた時、アメリカは日本が我々を攻撃しようとし
まいと対日開戦すると云う、明らかに彼にとって満足のいくある
種の保証を得たのだと。更に言葉を換えれば、我々はパールハー
バー以前に、大統領によってこの戦争に立候補していたのだ」

 ルーズベルト大統領と彼の搾取者の仲間は、「攻撃された場合を除いて」アメリカは参戦し
ないと云う、アメリカ国民に対する厳粛な制約を技術的に破る事無く、ウィシストン・チャー
チルと他の同じ考えの勢力を満足させるべく、真珠湾攻撃を強く待望していたのです。このよ
うにして武器貸与法ののち、アメリカはイギリス船の護送、イギリスに対する50隻の駆逐艦
の贈与、更にはドイツ潜水艦の深度攻撃さえも行った——全て極端な非中立挑発——が、ヒト
ラーの報復を誘い出す事は出来ませんでした。このようにして、ルーズベルト大統領は焦り—
—そして彼の仕掛人達——は絶望的になったのです。外交問題評議会(CFR)のメンバーの
一人、ルーズベルトの補佐官ハリー・ホプキンズは次の様に告白しています。

「スチムソンもマーシャルも、アメリカを参戦させないでは勝つ
事は出来ないが、どうして参戦させるかについては知恵が出なか
った。ルーズベルトは、彼に可能なギリギリの対ドイツ戦争挑発
を行った。だがヒトラーは乗らなかった。彼にはもうトリックの
種(此れを行えば、基本的に宣戦布告をした同じ意味している!
愛)は残されていない。彼が多くの兎を取り出した帽子は空にな
っていた」

 最後に残されたトリックは日本を挑発し容赦なく侮辱する事だけだった。セオボールド提督
は、

「1940年の三国協定(日独伊同盟)は……ルーズベルト大統
領に一つの解答を与えた。其の条約の下では、日本との戦争は即
ちドイツとイタリアとの戦争を意味する」

 其処でルーズベルト大統領は腰を下ろした家鴨のような戦艦(如何に日本をびくびって、侮
辱している言葉)で日本の攻撃を誘惑する為に、航空母艦を除いた太平洋艦隊を真珠湾に碇泊
させていたのです(ここで主要な艦隊は碇泊していない事を告白している!愛)。疑いも無く
、これがスターク提督が当に来りつつあるパールハーバー攻撃の警告をするのを、マーシャル
将軍に止めさせた大統領の意図だったのです。
 イギリス海軍のグレンフェル大佐は次のように書いています。

「普通の情報を与えられている人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻
撃を仕掛けたと信じない者は無かった。だが政府中枢部では攻撃
は十分に予期されていただけではなく、実際上欲せられていた。
ルーズベルト大統領が戦争を欲していた事は疑う余地は無いが、
政治的理由から、最初の攻撃が相手方から加えられる事を望んで
いた。其の為自尊心を持つ国なら、いかなる国でも武力に訴える
他ない地点にまで日本に圧力を加えたのである。日本はアメリカ
大統領によってアメリカを攻撃する事になっていた」

 更にイギリスの生産相であったオリヴァー・リトルトンは1944年に、適切に纏め上げて
次の様に言っています。

「日本は真珠湾を攻撃するように挑発された。アメリカが戦争に
押し込まれたと云うのは、歴史の滑稽な言い換えである」

 ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃の舞台回しをし、(日本軍の)来襲がある事を知っていた
事の最も反発出来ない証拠は、おそらくH・モンゴメリー・ハイドの『3603号室、イギリ
ス諜報機関の話』に出ているものでしょう。この本はロックフェラーセンターの36階360
3号室で執務していた、イギリス秘密機関長ウィリアム・ステフェンソンが、日本をアメリカ
との戦争に引き込み、従って枢軸国との戦争へアメリカを引き込む事を、ルーズベルト大統領
や他のアメリカ高官と謀議したその詳細を記述している。モンゴメリー・ハイドは更に詳細に
述べています(以下、同書より引用)。

「ステフェンソンはイギリス籍で日本で50年過ごしたエージェ
ントを、栗栖使節団に潜入させる事にある程度成功した。このエ
ージェントは栗栖使節団のユキと云う人物に接触し、あらかじめ
会話を盗聴する仕掛の設備をしたワシントンのアパートで幾回か
会った。
 この記録から得られた情報は文書化され、そのコピーはステフ
ェンソンによって毎日ルーズベルト大統領に届けられた。これは
当時、暫く前から傍受解読されていた東京とワシントン間の外交
電報を補強するものであった。
 1941年11月27日、大統領は彼の息子ジェームズ・ルー
ズベルトに特別のメッセージを持たせてステフェンソンの所へ送
ったが、其の意図はイギリス外務省もワシントンのイギリス大使
館も未だ分かっていなかった。其の同じ日に、ステフェンソンは
其れをロンドンに送った。彼の電報は次のようなものだった。
『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』
 私は繰り返します。電報は『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍
ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』
 想像されるように、この電報はロンドンに巨大な激動を与えた。
其処でワシントンにいたハリファックス卿(訳注・駐米イギリス
大使)に直ちに電報してその確認を求めた。ハリファックスは電
報が届いた時にはヴァージニアに狩猟に出ていたが、彼は余儀な
く馬から下りて大使館に帰り、自分はこのような事は何も知らな
いと返電した。他の至急報がロンドンから、今度はステフェンソ
ン宛てに出されたが、其れは首相と閣僚が彼の情報源を知りたい
というものであった。ステフェンソンは簡単に返電した。
『(情報源は)アメリカ大統領』
 2日後11月29日に、コーデル・ハルはハリファックス大使
に会い、其のニュースを公式に伝えた。其の際コーデル・ハルは
こう言った。『日本との外交関係は事実上終わった。仕事は既に
陸海軍の手に渡った。日本は今や突然に動き、其れも完全な奇襲
の要素を持つであろう』」

(此れは全くの嘘である。戦争を仕掛けた人の言葉であるか。アメリカ国民に騙し続けただけ
の話でしょう。この言葉「仕事は既に陸海軍の手に渡った。」が出る事自体、奇襲の意味がな
いでしょう。今も報道関係にアメリカの悪魔の共産主義戦略の報道が行っている!愛)。

 この素直なインタビューの一週間と少し後、驚きがどのように来たかは、歴史の問題です。

ヒルダー
 12月7日の実際の攻撃のニュースに、ルーズベルト大統領と彼の閣僚達はどの様に対応し
ましたか。

ドール
 ルーズベルト大統領の演説「汚辱の日」の驚愕と悲嘆の偽善的なイメージを破壊したのは、
再び陸軍長官スチムソンでした。スチムソンは次の様に本当の事を述べました。

「日本が我々を襲ったとの最初のニュースが届いた時、私は何よ
りも先ず、ほっとした。この危機到来によって不決断の時は去り、
アメリカ国民全体を結合出来るとの安堵の気持ちであった。急速
に大きくなってゆく損害のニュースにも関わらず、この感情はず
っと支配的だった」

 真珠湾の日に、上下両院の議員グループに対して、「攻撃された時以外には我が国が戦争に
突入する事はない」と云う彼の(偽善的!愛)誓約を最も強く打ち出して、ルーズベルトは声
を大にして主張した。

「さて我々は攻撃された。其の事に付いては何の疑問も無い」(***)

 チャーチルは彼の『大連合』(著書)の中で、こう語っています。其の晩彼はウィナント大
使、アベレル・ハリマン及び悪名高い外交問題評議会(CFR)のメンバー達と一緒にいまし
た。ルーズベルトの言葉を引いて、ウィナントは最初に叫んだ。「それで良い。上手くいった
」。チャーチルは言いました。

「私の二人のアメリカ人の友人はこのショックを称賛すべき不屈
さで耐えた……実際、長い苦痛から解放されたとさえ思うだろう」

 記録されたこの反応は、アベレル・ハリマンにとってほぼ計画通りであったのだろう。チャ
ーチルはこの日の自分の事を、次の様に告白しています。

「其の晩(私は)救済され感謝に満ちた眠りを貪るべくベッドに
入った。アメリカを我々の側に付ける事は私の最大の喜びであっ
たと宣言しても、如何なるアメリカ人も私を非難する事はあるま
い。其れは私が夢見、目指し、望んできた所であり、其れが今や
現実化したのだ」
●アメリカの見えない政府

ドール
 ルーズベルト大統領と其の支持者の金融閥は、チャーチルと其の支持者の銀行家達と共に、
最初からアメリカと日本、連合国とドイツの間の戦争を望んでいたのです。そして戦争を適当
に計画し推進しました。ドイツは戦争を欲していなかったし日本も戦争を欲していなかった。
そして何にも増してアメリカ国民は戦争を欲していなかったのです。だがルーズベルト大統領
と世界金融勢力は戦争を欲しました。事実、ルーズベルトがパールハーバーを攻撃するように
日本を挑発したのと同じ手口でイギリスとポーランドを誘導して、ダンチヒ回廊問題を打開す
る為の1939年8月のヒトラーの道理に合った提案を拒否させたのも、世界金融資本によっ
て支持されたルーズベルト其の人であると、ある歴史家達は解明しています。
 著名な歴史家ハリー・エルマ・バーンズのこの問題の個所を引用しましょう。

「ルーズベルトの1937年10月5日のシカゴ演説<Chicago 
Bridge>から、1941年12月7日午前7時55分頃真珠湾上
に日本爆撃機が出現するに至る真珠湾攻撃の責任は、事実を知っ
ている人達にとって、自ら進んで公表する勇気があるかどうかに
は関係なく、全く明らかである……大西洋でヒトラーを戦争行為
に挑発出来ない事がはっきりした来た1941年6月の、日本の
経済的扼殺で始まった戦術の切換えを除いては、戦争への道は全
く直線的であった。全局面を通じる戦争工作の建築家であり、大
指揮者だったのは、フランクリン・デラノ・ルーズベルトだ」

 彼は銃であり、他の者は快く弾薬を供給した。外交問題評議会(CFR)のメンバーである
バナード・バルークとフェリックス・フランクファーターの弾薬庫から、其れは大量に供給さ
れた。既に私が述べたように、これはアメリカの<見えない政府>であり、戦争を望んだのは
彼等であり、アメリカ人ではないのです。

ヒルダー
 戦争が起こった時、一般のアメリカ人がどんなに感じたかを説明して頂けませんか。パール
ハーバーの奇襲を操縦したルーズベルトとチャーチル首相は英国国民に事情を説明しなかった
、そうでしょう。

ドール
 こちらが仕掛けた訳ではない、卑怯な攻撃だと教え込まれた戦争に対する憤慨と愛国的怒り
が、当然ながら最初にアメリカ人の間に行き渡りました。この事が、誤った情報を与えられ、
感情的になった我々の議会に対日宣戦をさせました。国民は8隻の戦艦の損失にギョッとしま
した。其れ等は沈み又は大損害を受け、188機は破壊された。3303人の将兵の戦死者、
1272人の負傷者に対する悲しみに心を取り乱しました。しかし間もなく、多数の人達は、
真珠湾の指揮官キンメル提督とショート将軍が、何故そんなに完全に奇襲されたのか、と問い
始めたのです。其の適切な、しかし危険な質問に覆いを掛け、逸らせる為に、ルーズベルト自
身及び彼の政府から適当な回答を引き出そうとする動きをはぐらかし、スケープゴートを作り
出す必要に迫られました。
 キンメル提督は其の陽動作戦を私に説明してくれました。

「数日後、事情を調査する為にルーズベルト大統領によって任命さ
れた委員会と一緒にオーエン・ロバーツ判事がワシントンから真珠
湾に来た。しかし其れは事実上、大いに必要であったスケープゴー
ト、つまりショート将軍と私、を浮かび上がらせ、怒っているアメ
リカ国民の眼をワシントンから逸らし、あの非常な惨劇の計算され
た説明の為に、真珠湾のい指揮官と云う故人に責任を被せる為だっ
た。攻撃の10日後、私は指揮官を解任され、30日して退役した」

 当然、私は提督の発言にショックを受けた。しかし外交問題評議会(CFR)のフェリクス
・フランクファーターが、真珠湾についての個人的報告をルーズベルトの為に作る人物として
オーエン・ロバーツを任命するのに重要な役割を果したと知って、私は驚かなくなった。ロバ
ーツは「首切り人」の役割を引き受け、フェリックス・フランクファーターの承認を得た「使
える」報告を責任を持って仕上げたのです。

 マックス・フリードマンによれば、

「フランクファーターは、ロバーツ判事が、パールハーバーに導い
た直接の事情と、攻撃が始まって後に起こった事柄だけに付いて大
統領への私的な報告書を作る事に、非常に固執していたと云う。彼
はスケープゴートに対する誘導尋問において、国民の注意がルーズ
ベルトの弁護と云う、より重要な任務から外れる事を心配していた
……南北戦争でのリンカーンがそうであったように、ルーズベルト
の権威がお節介な議会の委員会によって危険に曝されるのを恐れて
いた」

 スケープゴートを擁護する調査がなされ、お節介な議会によって大統領の権威が危険に曝さ
れるかも知れないと云うフランクファーターの恐れは理解する事が出来ます。ロバーツ判事は
二人をスケープゴートに仕立てるのに時間を掛けなかった。かくて誤魔化しが勢いよく進行し
たのです。
 ロバーツの所謂「審理」に関連して、ニュールンベルク裁判で11人のドイツ指導者が死刑
を宣告された時、ロバート・タフト上院議員が1944年9月に次の様に述べた事を、貴方は
すぐさま思い出す事でしょう。

(タフト上院議員)「11人が絞首刑を宣告されたのは、侵略戦争
を行ったとする罪状によってである。彼等は敗れたが故に有罪にな
った。其の理屈で云えば、枢軸側が勝っていたならばルーズベルト
大統領は死刑にされていた筈だ……。此等の11人の絞首刑は、我
々が将来長く後悔するアメリカの歴史の汚点になるだろう」

 多くの事情通のアメリカ人は、ロバーツ報告も又汚点だったと云う意見に同意しています。
けれど其の時点では「誤魔化し」の為の露骨な計略だったのです(今のイラク戦争も変わらな
い。アメリカやイスラエルがイラクに対して行った軍事戦略を一切無視している!愛)。其れ
はルーズベルト大統領、彼の政府、そして彼の共犯者達を隠してしまった。ロバーツ報告は、
真珠湾にいた、故意に通報されなかった指揮官に、恥知らずにも全責任を被せたのです。
 キンメル提督は私にこう言いました。

「ロバーツ報告は一つの目的——ショート将軍と共に私を生贄の山
羊にし、日本に与えた1941年11月16日のハル最後通告の衝
撃を避け、パールハーバーで我々を攻撃するように彼等を誘惑する
周到な計略の露見阻止——に奉仕する見え透いた不正確さに満ちた
殺戮場だった」とね

ヒルダー
 公式の審問はありましたか? 彼等の内の一人でもキンメル提督或いはショート将軍の疑い
を最終的に晴らしましたか。

ドール
 公式のパールハーバー審問は8回ありましたが、其れ等は皆戦争の続いている間、我が共和
国でも、偏見、裁判、政略、そして特殊な誘導が真実を隠し、公正さを失わせる悲しい証明を
見せ付けただけでした。例えば上下両院合同委員会はその573頁もある報告書で、政府を免
責し、キンメル提督とショート将軍個人をスケープゴートにしてしまっているのです。只少数
意見書だけが12月6,7日に「迅速な即時の行政行動」と取らなかった廉で、全軍総司令官
ルーズベルト大統領を敢えて批判しているだけでした。其れは「彼等の責任を果さなかった」
事でスチムソン、ノックス、マーシャル、スタークをも批判している。セオボールド提督によ
れば、

「少数意見書でさえも、パールハーバーの惨劇にルーズベルト大統
領が如何に関わったのか、其れに付いての完全な理解からは遥かに
遠い事にがっかりした」
 
ヒルダー
 言葉を換えれば、セオボールド提督は、真珠湾敗戦の責任をルーズベルト大統領と其の政府
に帰し、キンメル提督とショート将軍を計画的デッチ上げの犠牲にされたと述べているのです
か。

ドール
 其の通りです。責任ある歴史家の幾人かは同じ様に言っています。高位の国際金融業者とチ
ャーチルの圧力の下に、ルーズベルト大統領はドイツの攻撃によるイギリスとソビエトロシア
の敗北を救う為に、最後手段としてパールハーバーで最初の弾を撃たせるように日本を操作す
る事によって、いかなるコストを払ってもアメリカを戦争に引きずり込もうとしたのです。
●モーゲンソーが対日経済制裁

ヒルダー
 貴方が私に大胆に、貴方の元の岳父がパールハーバーの惨劇の主要な仕掛人であったと云う
真実を語ったに付いては、勇気は勿論の事、深い義務感が必要だろうと思います。どうして貴
方は、パールハーバーの秘密を発表し、事件の30年後になって其れを一般に広く知らせる事
が重要だとお考えになったのですか。

ドール
 ヒルダーさん。其の質問をして下さる思いやりに感謝します。私がそうしたのは、只日本と
アメリカ両国の人達の最高の利益は、いかなる個人或いは少数者のグループの利益の上位にあ
らねばならない——私は「ねばならない」と繰り返しますが——と強く確信しているからに他
なりません。其の点に於て、ルーズベルト大統領——国際金融勢力の「代理人」——がアメリ
カ人を如何に操縦して第二次世界大戦に入らせたかについての真相は、最大の重要性を持って
おります。両国の普通の人達が、この戦争と其の原因の恐るべき教訓を理解する事が、最も重
要な事です。こういう事を知る事は今日の我々全てを目覚めさせる大きな助けとなるでしょう
。ハリー・エルマー・バーンズ博士は次の様に書いています。

「我々の時代の巨大な犯罪は、イギリスの戦争陰謀と其の開始で
あり、アメリカが其れを助けて戦争を起こした事である」と

 近視眼的無条件降伏、ヤルタにおけるスターリンに対する計画的売り尽くし、ドイツと日本
の完全な武装解除、ポーランドとバルチック、バルカン諸国への裏切りは、彼等の背後にいる
者の意向通りに、世界の1/3を共産主義の圧制の下に送る事に成功しただけでなく、残りの
世界をソビエトとの永久の冷戦と、第三次世界大戦での広範囲の核破壊と云う恐喝に曝したの
です。
 其の結果、ヨーロッパにおけるドイツ、アジアにおける日本と云う防波堤を失った米国納税
者は、世界歴史でのどの国よりも多い費用を年々支払う羽目になっているのです。我が国は過
去において、そして現在も尚、朝鮮において、ベトナムにおいて、次から次へと血腥い戦争に
駆り立てられているし、ドイツと日本を含めて、軍事基地を全世界に設けて軍隊を駐留させね
ばならなくなっているのです。

ヒルダー
 このような悲劇的な結果を見ると、何故ルーズベルト大統領とチャーチル首相はドイツに対
する戦争に世界を投げ込ませ、ドイツと日本の双方が完全に破壊され武装解除されるまで、平
和交渉をしなかったのでしょうか。

ドール
 早期の平和交渉を拒否した事は道徳的犯罪であり、国際金融閥の強欲を満足させるのに政治
的に役立ったのです。彼等の幾人かはイルミナティの子孫でしょう。和平を拒否した事は、連
合国の戦争動機が、ナチスドイツに対する気高い十字軍ではなくて(逆でしょう。当時のロシ
ア革命等の共産主義革命のテロ政治とドイツの人食い缶詰が出来る程の悪質のインフレ政策を
起こした国際ユダヤ金融財閥に対抗してヒトラーが出てきたのである。ヒトラーに財源補助し
た金融も同じではないかと批判が出ているけれど、其れは違う。其の悪質的なユダヤ金融財閥
の政治を見て良心に痛み、其の政策を無くす為にヒトラーに応援したのである。要するに、悪
魔と神との戦いであると(このユダヤ・イルミナティ・マルクス共産主義問題だけは、方向性
は正しいが、後の問題点は、この問題が解決した後に考える問題がある。一民族優勢学とかヒ
トラーに愛人がいた一夫一婦制の問題、フセイン大統領の個人的犯罪等)。今、一番大きな問
題且つ優先的課題は、ユダヤ・イルミナティ・マルクス共産主義の脅威とテスラ波の武器開発
問題である!愛)、実際には歓迎されない産業的ライバルを破壊する為の術策に満ちた、利己
的な、暴力ゲームであった事を示唆しているのです。早くも1936年1月、チャーチルは、
後にアメリカ第一委員会の会長になった、シカゴ出身のロバート・E・ウッド将軍に、

「ドイツは余りに強くなりつつある。我々(英米)はドイツを
破壊させなければならぬ」

と述べています。
 私は再びハリー・エルマ・バーンズが次のように言っている事を引用したい。

「これは チャーチルの偉大な親友で、彼の合衆国での主要な
非公式連絡役であるバーナード・バルークの感情とも一致する」

 バルークはジョージ・C・マーシャル将軍に、「我々はヒトラーを殴り付けてやるんだ、逃
しやせんぞ」と言った。バルークが「我々」と言った時、彼は誰を指していたのか。ヨーロッ
パの強大な国際金融業者ロスチャイルド財閥か、或いはアメリカのクーン・レーブ商会、ロッ
クフェラー家、ラザード・フレール商会、ゴールドマン・サックスか。
 第一次大戦前、バルークは100万ドルの資産を持っていたが、其れが終わった時には2億
ドルになっていた。第二次大戦では、彼は確実にチャーチル、ルーズベルトと語らってアメリ
カを参戦させた。後に、彼はワシントン政界に影響力を行使して、基督教ドイツの完全な武装
解除と解体の為のヘンリー・モーゲンソーの計画を現実化するように働きかけているのです。

ヒルダー
 其の計画は実施されましたか。

ドール
 モーゲンソー財務長官自身は1945年にゴーストライターに書かせた『ドイツは我々の厄
介者』と云う本の中で、「ポツダム宣言では、……連合国の主要三国は其の政策の目的を実行
しようとした」と自慢しています。ウィリアム・ヘンリー・チェンバレンは彼の権威ある『ア
メリカの第二の十字軍』の中で、次のように言っています。

「ドイツ占領軍政府の、極端に厳しい参謀本部文書106
7番は、モーゲンソープランの最初のテキストから、殆ど
そのまま採られていた」

ヒルダー
 ヘンリー・モーゲンソー財務長官はルーズベルト大統領の日本政策にも注意していましたか


ドール
 其の通りです。事実、日本を経済的に縛り上げる政策を提案したのは、モーゲンソーでした
。彼はルーズベルト大統領をしてアメリカを戦争に入らせるのに、あらゆる可能な方法を使う
勢力の前線の好位置にいたのです。しかし1941年11月26日の日本に対する10ヶ条の
最後通告の草案を書き、其れをハル国務長官に提出したのは、後になって共産党のエージェン
トと判明した、賢いが怪しげな彼の補佐官、ハリー・デクスター・ホワイトだったのです。バ
ーンズ博士は次の様に書いています。

「ルーズベルトは共産主義の同調者(複数)と本当の共産
党員に取り巻かれていた。其の一人はホワイトハウスの正
式官吏で、ルーズベルトとハル長官に強力な影響を与えて
いた。日本の真珠湾攻撃を招いた1941年11月26日
の最後通告は、共産党員そのものでは無かったとしても、
確かに其のエージェントであったハリー・デクスター・ホ
ワイトからハル長官に手渡されたメモランダムに、其の大
部分を直接に依っていた」

 国際金融業者の家系であるヘンリー・モーゲンソー・ジュニアと、共産主義者の最高位のエ
ージェント、ハリー・デクスター・ホワイトは、最終的にパールハーバー攻撃を計画し、翹望
していたのです。両人とも同様に、第二次大戦から広大な恩恵を得た金融財閥の長期の目的を
代弁していました。時にヘンリーの兵歴は、全く其れがないと云う事で際立っています。
●国際共産主義への不当な肩入れ

ヒルダー
 この点を詳しく話して頂けませんか。

ドール
 宜しいとも。国際共産主義——ソ連を意味するのですが——が利益を得た事は全く明白です
。アメリカは戦死、負傷、そして破壊を蒙り、イギリスは其の帝国を失いました。ところがボ
ルシェビキはドイツの半分と、ヨーロッパ、アジアの半分を手に入れたのです。其の上に戦争
の結果出てきたものは、イスラエル国家でした。勝利者への適当な賠償の代わりに、莫大な西
ドイツの賠償はイスラエルの援助に割り当てられ、後には注ぎ込まれたのです。1964年に
はこれは数十億ドルにもなりました。このようにして、シオニズムと共産主義は大いに利益を
得たのです。第二次世界大戦の莫大な戦利品と賠償金は政治的に強力なヨーロッパの国際金融
財閥に分配されました。しかもそれにも関わらず、日本とドイツは世界の産業の頂点に上って
来たのです。

ヒルダー
 シオニストの利益は明白ですが、どうして銀行家が国際共産主義に金を貸したのですか。

ドール
 有能な作家ゲイリー・アレンは、ヨーロッパのロスチャイルド銀行財閥の一つのアメリカ支
部を引き合いに出します。彼は次の様に言います。

「其の中で最も重要なグループはクーン・レーブ商会で、其の社長
<ヤコブ・シフ>は1917年のロシア革命に2000万ドルを投
じた。1932年3月3日に国務省に宛てられた報告書の中で、ク
ーン・レーブ商会はソ連の第一次5ヵ年計画を策定し、ファイナン
スしている」

(此の支援金のお金で何を使われたのか。悲劇で恐怖のテロ政治に使われたのである!愛)

 重要な事は、この国際銀行組織のメンバーの一人、ポール・ウォーバーグが、連邦準備銀行
は私的に所有され、コントロールされていたのです。

ヒルダー
 私は丁度1971年3月26日付ロサンゼルス・ヘラルド・エキザミナーの「秘密報告」と
題する記事を見ました。ジョン・チェンバレンは其のコラムで、他の一人の外交問題評議会(
CFR)のメンバー、故トム・デューイ——元ニューヨーク州知事、共和党から大統領候補と
して出た——はパールハーバーの真相を知っていた、と書いています。この記事でチェンバレ
ンはデューイ知事に個人的にインタビューしたと述べています。

「1944年になってデューイは、『パールハーバーの暫く前、最
高機密の日本の暗号が破られ、次の日に太平洋の何処かで攻撃が始
まる事を、ホワイトハウスは15時間以上前に知っていた事が分か
った』と言っていた。正確な位置は指摘出来なかったにしろ、太平
洋のあらゆる我々の基地は警報さるべきであったのです」

 もしデューイがルーズベルト大統領の行動をアメリカ大衆の目から隠したとするならば、両
人とも外交問題評議会(CFR)のメンバーであり、従って国際銀行カルテルのコントロール
下にあれば、政党関係は大した意味を持たないとする貴方の告発に、一層の証明を与えるもの
ですね。

ドール
 其の通りです。国際戦争陰謀者の政党関係は意味がありません。彼等が巨大な影響力を持つ
地位にいる事が許されている限り、世界の災厄と云う結果は同じです。汎世界銀行カルテルは
、どちら側が勝ったにせよ、戦争から利益を得ると云う独特の地位にあるのですから。

ヒルダー
 第二次世界大戦が起こった時、大西洋憲章で理想主義的な平和宣言を発しながら、ドイツと
日本の心臓に狙いを定めたヤルタ、ポツダムでの無条件降伏であの戦争が終わった理由がそれ
なのですか。

ドール
 そのように見えますね。第一次大戦が終わった時、アメリカはウッドロー・ウィルソン大統
領の理想主義的14ヶ条を支持しました。ところが大砲が静かになった時、ドイツが到底支払
う事の出来ない賠償を要求すると云う、不吉なベルサイユ条約で幕を閉じたのです。敗者から
莫大な賠償を取る事によってのみ、双方に融資した国際金融財閥は貸金を回収し、遥かに多く
を取る事が出来ます。

ヒルダー
 第二次大戦では、モーゲンソープランを好み、日本とドイツから広大な領土を取り上げた上
に、更に賠償まで取ろうとした国際共産主義者は、特にソ連共産主義者の方を向いていたので
はありませんか。

ドール
 勿論ですとも。前に言ったように、共産党のエージェントであるデクスター・ホワイトがモ
ーゲンソープランを書いたのですから。
 我が国や海外にいる、「ロスチャイルド・コンプレックス」とも呼ばれるべき仲間や協同者
達は、ドイツに対する懲罰的平和条約を推し進めて、強力なドイツの至る所を真空にし、ソ連
が自動的に入り込むように仕向けたのです。シカゴトリビューンのワシントン特派員を長く務
めた私の友人ウォルター・トローハンは、其の1950年5月28日の紙上に「政府と呼ばれ
る3人の男」と題する論文を載せました。

「国務省の最高筋に近いある人物が、この3人男をアメリカ
の秘密政府と認めた。フランクファーター(最高裁判事)……
彼の子分と共にホワイトハウスに入り込みうる最強力の人物、
ハーバート・リーマン(ニューヨーク州判事)……ウォールス
トリートの有力者、ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア……」

 この3人は複雑な国際金融業者と密接に関係しており、同様にルーズベルト大統領を日本と
の戦争計画に押しやり、又ドイツと日本に対して懲罰的平和条約を要求し、共産主義者とシオ
ニストに利益を与え、勿論彼等の銀行に奉仕した。彼等はイスラエル国家を造り、ヨーロッパ
とアジアの半分をソ連が支配するのを許したのです。

ヒルダー
 モーゲンソープラン以外に、アメリカを傷つけ、ソ連を助けた事例で、この3人が関係した
ものがありましょうか。

ドール
 あります。単にスターリンに印象を与える為に行われたのが、歴史上比類の無い惨殺、無防
備都市ドレスデンの残酷なイギリス・アメリカによる爆撃であった事を、我々は決して忘れて
はなりません。アメリカ軍の最高当局者の一人は個人的に私に38万5000人の男女、子供
がドレスデンで殺された事を話してくれています。しかもソ連の共産主義者どもに略奪、暴行
を許し、ベルリンの包囲を見過ごした。
 其の上、KEELHAULと名付けられた想像を絶する「作戦」では、100万人のロシア
自由戦士を、ソ連の奴隷キャンプで集団殺害させるべくスターリンの手に渡した。彼等は国土
を支配している暴君に対して、ドイツと一緒になって戦い、戦争の終わりに、死のキャンプ送
りから逃れようと考えて栄米軍に降伏したのです。確実な死の待っているソ連への強制送還を
命令したのは、ドワイト・D・アイゼンハワー将軍だった。
 アメリカの国益を無法に裏切った今一つの例は、如何なる条件も付けずにドル紙幣の印刷原
版を、必要な全ての品物、例えば紙幣用紙と我が国の特殊なインキ等をそっくり一揃い付けて
、飛行機4台分をソ連に与えた、モーゲンソー長官の計画です。レイシー・ジョーダン少佐は
彼の『レイシー・ジョーダン少佐の日記から』と云う本の一章「如何にしてロシア人はアメリ
カ財務省の紙幣印刷原版を手に入れたか」に、こう書いています。

「アメリカ財務省はアメリカで印刷したドイツ占領軍票と同様な
軍票を印刷出来るように、ロシアに原版や他の必要品を送りつつ
あった。ロシア人が刷り出し、精算される当ての全く無い金は、
約2億5000万ドルに上った。其の軍票マルクは後にドルに交
換された」

「アメリカ・マーキューリー」誌は1957年6月号の「幽霊マネーがアメリカ財務省を徘徊
している」と題する文で次の様に暴露しています。

「長官ヘンリー・モーゲンソー、次官ハリー・デクスター・ホワ
イト、ハロルド・ブラッサーの3人の財務省関係者は、特殊イン
キを添付した紙幣印刷原版を一機分、紙幣用紙を4機分、ロシア
政府に贈ったが、此れはソ連占領軍の2ヵ年分のサラリー支払い
の為であった」
 
ヒルダー
 もし其れが本当なら、共産主義者、彼等の銀行家支援者、そして左翼の友人達にとって、戦
争は大変に儲かるものでしたね。アメリカに持ち込まれた「避難民マネー」と呼ばれた金の額
の見積りはあるのですか(避難民マネーとは、アメリカへ持ち込んだ金や貴金属を云う)。

ドール
 あります。「アメリカン・マーキューリー」誌は其れに関連して、「アメリカに入ったこのような金は
190億ドルに達し、其の内30億ドル以上はカナダから、18億ドルがスイス銀行を通じるものだ
った」と書いています。
 この金の幾分かは多数のホテル、出版、ラジオそしてTV企業の買収に使われたと言われて
います。此れは部分的に我々のアメリカ情報メディアの殆どが、何故左傾しているのか、其れ等
がしばしばフェビアン社会主義と国際ボルシェビズムの目的に何故過度に同情的なのかを説
明するでしょう。例えば現在の宣戦されざるベトナム戦争において、南ベトナムとアメリカによる
蛮行が書き立てられています。しかし、ベトコンと北ベトナムによる10万近い無辜の人達の殺
害については、殆ど書かれません。
 第二次世界大戦に関しては、一個の巨大な墓穴に、1万2000人のポーランド将兵を追い込
んで殺害した「カチンの森事件」のようなものは、稀にしか報道されない。しかも我々の統制さ
れたメディアは、日本とドイツの残虐を仄めかすどころではなく拡大している(虚偽の報道も拡
大している!愛)。我々の政府は一時も休まず、日本人に対して人種的憎悪を煽っているので
す。

ヒルダー
 貴方が引用されたレイシー・ジョーダン少佐の日記によれば、2億5000万ドルに及ぶモーゲ
ンソーの「幽霊ドル」が直ちにドイツ内に回った可能性があると推定されていますが、この金が
社会主義者ないし共産主義者の手に渡って、ドイツの情報メディアの支配権を買う事は出来な
かったのでしょうか。

ドール
 其の通りに行われました。占領軍当局は特殊なライセンスを発行しましたが、其れがなくては
どんなメディアも運営する事が出来ず、其れ等は殆ど例外なく社会主義者、左翼、隠れた共産
主義者、又はドイツ系でない血筋に与えられ、決して保守的な、活動的な反共的ドイツ人には
与えられなかったと云う事を、私は確かな筋から聞きました。ソ連人に与えられたモーゲンソー
の印刷原版から現れた幽霊マネーは、ドイツ情報メディアの獲得と早期の運営に重大な役割を
果たしたのは確かでしょう。ウルブリヒトの管轄下にあったソビエト占領区域(訳註・東ドイツ)で
は、共産党が全てのメディアをコントロールしました。西ドイツでは自由主義的な、社会主義的
な、汎世界的な分子が支配的でしたが、一方独立の、保守的な新聞が徐々に立ち上がりつつ
ありました。今日でさえもラジオ、TVプログラムはドイツ本来のものよりも、「外国」のものが幅
を利かせています。

ヒルダー
 アメリカにおける金融界、政界のある人達が、何故怪しげな裏口からでなければ入れなかっ
た第二次大戦にアメリカを引き込んだかを、其れは説明するものでしょうか。

ドール
 其れは苦い、恐るべき真実です。我々アメリカ人がこの破局から得たものは、莫大な戦時負
債、25万の戦死傷者、そして恐るべき原子戦争と云う現実です。ソ連に印刷原版を与えたと
同じ筋の計画者達は、モスクワに原爆の秘密を与えると云う裏切りをしている。其の中には前
に述べたヘンリー・モーゲンソーの助手ヘンリー・デクスター・ホワイトがいたが、共産党のエー
ジェントである事がばれた時、彼は急に姿を消した。伝えられるところでは殺されたと云う。二
人の共犯者、ユリウス及びエセル・ローゼンバークは1953年6月19日に、共産主義のスパイ
として処刑されたが、其れは巨大な損害が生じた後の事でした。

ヒルダー
 これら全ての事にも関わらず、日本を含めてアメリカと自由世界は、共産主義者による併呑
から逃れた。最終的にキューバ、中・東欧、アフリカ、アジアを、汎世界共産主義の圧制から解
放する事が出来るでしょうか。

ドール
 はい。しかし其れはこの世界的スケールの汎世界銀行カルテルの陰謀(戦略!愛)を暴く、最
も献身的な努力によってのみ可能です。



 当時の日本と中国の状況を考えれば100%無いでしょう。逆にいえば、日本軍が撤退した
お蔭で、中国は赤い共産党と国民党によって、約6千万虐殺や人食いや暴行が起きた。つまり
強制的に撤退させた旧連合軍(国際連合の軍隊)が悪い。確かに日本人の中には不心得の人物
はいた事は認めるが、其の点は今の日本の状況も変わらないと思うが、それでも、真面目に中
国と日本の為に秩序を守ろうと努力した軍人を忘れてはならない。日本が一番悪いのは、誠実
の無い腹黒いおべっかいな人間と性道徳を守らない姦淫の罪の人間を取り締まらないの二つで
ある。その意味では、日本国内でも地獄の栄えとなっているでしょう。しかし、帝国軍人の中
には純粋な真面目な人もいた事は忘れてはならない。共産党等の左翼出版は、戦前の写真を偽
って史料に入れて、本物の様に見せ掛けた文書偽造の論文が多いのも忘れてはならない。其の
当たりは、小林よしのりの「戦争論」や、雑誌「全貌」や「諸君」等に論評されているでしょ
う。特に雑誌「全貌」や「ゼンボウ」は、歴史を考えるのに必読書なのに、図書館等に置いて
いない。如何に公共の資料館は偏向しているのかの証の一つである。

**
 この時点で宣戦布告している。正式の言葉ではないが、意味合いは完全に取れる。だから真
珠湾攻撃は騙まし討ちにはならないが、しかし、この真珠湾攻撃は、基本的にアメリカの戦略
であって、日本の軍隊が考えた戦略ではない。其れを受け入れ日本を騙し戦略を取ったフリー
メーソンである山本五十六の敗戦戦略の一つに過ぎない。

 其の証拠は、連合軍が東京空襲の時、海軍基地に空襲をしなくて、下町の非戦闘地域に空襲
を中心に行った事です。つまり、基本的に連合軍と日本海軍は繋がっていたのです。



***
戦争を仕掛けた本人が言う言葉か。正しい表現は、
「さて我々は反撃された。その事に付いては何の疑問も無い」


参考HP

* 何故、共産主義思想が悪なのか

パールハーバー(真珠湾攻撃)までの真相

投稿者 sfu9xi | 返信 (0) | トラックバック (0)

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