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◎なぜ、私が『100万人を破滅させた大銀行の犯罪』(講談社刊)を書いたの

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◎なぜ、私が『100万人を破滅させた大銀行の犯罪』(講談社刊)を書いたのか
  銀行の貸し手責任を問う会事務局長・椎名麻紗枝弁護士

◎放置されているバブル期の銀行被害者100万人
(隠された不良債権)

 私が、銀行被害者の事件にかかわることになったのは、1991年10月に、ある高齢者からの相談がきっかけである。彼は、87年10月に、東京銀行(現東京三菱銀行)から、融資をするからその金で株取引をするように執拗に勧められ、付き合いのつもりで、銀行から融資をうけて株取引をすることにした。しかし、実際の株取引は、銀行系列証券会社で行われ、株注文も、銀行と証券会社の担当者がやっていたが、この株取引はことごとく失敗した。その間に株購入資金として借り入れた金額は、32億円にのぼった。東京銀行は、株投資を勧めて融資したことは棚上げして、借金の返済を迫った。返済しなければ、自宅等の不動産全部を競売にかけると脅かした。抗議した彼に、銀行副支店長は、平然と言い放った。「株取引は、ヒロポンみたいなものだ」。東京銀行は、株取引をヒロポンみたいなものだと知って、株取引を彼に勧めたのか。
 彼から相談を受けた当初は、私も、レアーケースと思っていた事件が、その後しだいに、構造的に引き起こされたものであることがわかってきた。それを解明する鍵はフリーローンであった。
 周知のとおり、日本の大銀行にとって個人顧客は単なる資金吸収の対象でしかなかった。 しかし、70年代半ば以降大企業の資金調達が直接調達に傾くにつれて、都市銀行は、個人向け融資に目をつけ、住宅ローンに乗り出し、さらに80年代になると、大銀行は、使途に限定のないフリーローンに取り組んだ。このフリーローンは、従来銀行の融資の鉄則とされた「資金使途の確認」「過剰融資の排除」が取り払われ、不動産の担保さえあれば、資金使途も年収も問わないというものである。銀行は、さまざまな名称の大型フリーローンを売りだし、株投資、不動産共同投資、変額保険、ゴルフ会員権など投機目的にみさかいない融資を行った。このフリーローンは、潜在的不良債権をつくるものだとして、銀行内部でも強い反対があったものだ(89年8月6日朝日新聞)。しかし、融資拡大に躍起となっていた銀行は、競ってフリーローンを売った。その数は、100万件を上回る。2000年3月に銀行から出された衆議院が行った予備的調査に対する回答でも、まだ60万件以上のフリーローンが残っている。
 中でも注目されるのは、三菱銀行が89年2月から売り出した「長期総合ローン」と呼ばれるフリーローンである。この「長期総合ローン」は、従来のフリーローンとはかなり違ったものである。返済期限が10年、中には20年と長期なのに、元本据え置き可能なフリーローンだからである。長期に元本据え置き可能なローンは、他の都銀も販売したかったのだが、大蔵省に認められなかったということだ。この「長期総合ローン」は、銀行にとって、どういうメリットがあるかといえば、なによりも、融資残高が減らないという利点がある。
 当時、三菱銀行の貸出金は、91年こそ4位に上がったものの、それ以外の年は、第5位であり、融資拡大をはかっていた三菱銀行の融資戦略にまさにうってつけの商品であった。
 事実、この長期総合ローンを売り出した89年2月以降、三菱銀行は、個人向け貸しだしを大幅に伸ばしている。個人向け融資は、89年後半には、5位から、三和銀行と肩を並べて3位になり、90年には2位になり、91年後半には、第一勧業銀行を抜いて、1位になっているのである。しかも、長期総合ローンは、個人資産家に提案融資する際、三菱銀行がもっとも有効な切り札として使った相続税対策には、最適だと考えられていたのだ。元金(借り入れ金)が減らない方が良かったからだ。さらに、元金が減らなければ、当然三菱銀行にとって、金利収益も減らない利点がある。
 三菱銀行の変額保険の被害者は、保険料の融資に皆この「長期総合ローン」の借り入れを受けているが、三菱銀行は、変額保険では、自己資金1円も要らないというセールストークを使って金利まで融資しているため、その貸付金利には毎月複利の金利がつくことになり、銀行は高利を得ることができる。しかも、銀行はリスクはまったくない。金利と変額保険の運用益が逆ザヤになっても、銀行は、自宅等の優良な不動産を担保にとっているからだ。さらに、銀行は、死んだ時に、保険金で借金の元利金を返済すればよいと言って融資をしておきながら、借用書には、返済期限を10年と記載しているのが普通だ。信じられないかもしれないが、これまでは、銀行との契約書は、借り手に交付されないことが多いため、返済期限の記載があるとは考えてもみなかったのである。昨年は、契約から10年を経過し、銀行から返済を迫られる人が続出している。銀行は、これらの人に自宅などの競売にかけて、融資した金の回収をはかろうとして、競売にかけてきている。

 旧態依然の法律と不公正な裁判制度

 日本の法律には、いまもって「貸した金は返せ」という論理しかない。「貸し手責任」は、日本にはないのだ。100年以上も前にできた民法で、律せられているからだ。しかも、裁判に訴えても、日本の裁判手続きが旧態依然なのだ。銀行と個人とでは、情報、知識において大きな格差があり、決して当事者対等ではないのに、裁判手続きでは、これらの者との間でも当事者対等とみなされ、銀行から騙されたと主張する方が、主張立証責任があるとされている。しかし、騙された人たちは、騙されるとは思ってもみないから、会話をテープにとっておいたりしていない。騙されたことを立証する証拠はなにも持っていないのが普通だ。
 それに加え、日本の特殊な「印鑑」制度がある。本人が署名または印鑑を押した文書は、本人の意思にもとづいて作成されたと推定されるという法律である。最高裁は、さらにこれを拡大して、本人が印鑑を押したのでなくとも、本人の印鑑さえ押されていれば、その文書は本人の意思にもとづいて作成されたと推定するという考えなのである。私は、印鑑は署名と違って、本人から離れて一人歩きするものだから、印鑑だけで、本人の意思にもとづいたと推定するというのは合理性がないと思うが、最高裁は、印鑑は、本人から一人歩きすることはないと考えているのだ。このような最高裁の考えが、「印鑑さえとってしまえばこっちのもの」という商工ローンやサラ金業者等の悪徳商法をのさばらせているのだ。銀行も、悪徳業者の手口とまったく変わらない手口で、印鑑を騙しとって契約書に印鑑を押させている例はいくらでもある。
 さらに、日本の裁判が公正でないのは、銀行が持っている稟議書や業務日報などの証拠を法廷に提出させることができないことだ。それには、こういういきさつがある。99年に民訴法が改正になり、これまで否定的であった銀行の稟議書にたいして、東京高裁が、文書提出命令を認める決定を出した。それにショックを受けた銀行が最高裁に異議を申し立てていた。最高裁がどのような決定を出すか注目されていたところ、銀行側は、最高裁の決定を銀行に有利に導くために、民訴法の権威の教授に、高裁決定に反対する論文を書かせた。最高裁が、もし高裁の決定を認める決定を出したら、今後の裁判に重大な影響を及ぼすことなることを恐れたからか、あるいは最高裁が決定を出しやすくするためか、どちらにしても、99年11月に出された最高裁決定は、銀行側のもくろみどおり、この権威の書いたとおりの内容になった。ちなみに、この決定にかかわった5人の最高裁の裁判官のうち、弁護士出身の2人の裁判官は、長年大手銀行の顧問弁護士として知られた人である。
 このように、日本では、欧米のような銀行取引に消費者を保護する法律がないこと、また裁判制度が借り手に圧倒的に不利なために、銀行との裁判で、借り手が勝訴することはほとんどないと言ってよい。融資一体型変額保険訴訟でも、600件の判決が出されているが、銀行に勝訴したのは6件しかない。医療過誤でも、患者側は5割から6割の勝訴率に比べ、1パーセントの勝訴率というのは異常ではないか。

 被害者が自らが救済を求めて立ち上がる
 
 このような裁判制度のもとで、被害者が、個々に、銀行を相手に裁判に訴えても玉砕になるのは目に見えていた。そうであるならば、被害者が立ち上がり、世論の支持を集め、救済立法をかちとるしかない。
 それには、誰かが声を上げなければならない。これだけの大変な事件だ。きっと誰かが声をあげる筈だ。当時の私は、血友病の子供を守る親の会の顧問弁護士という立場からも、89年に裁判提起したHIV裁判に全力を尽くさなければならない立場にあった。
それにもともと私の弁護士としてのフィールドは、医療問題と被爆者問題だった。数学も経済も得意ではない私が、金融問題というまったく別の分野に足を踏み入れることはとてもできなかった。バブル崩壊後暫くの間は、銀行も既に利払いができなくなったこれらの個人に対しても、強硬な手段には訴えてこなかった。銀行も、地価や株価の値上がりを期待し、また体力もあったのであろう。しかし、94年ころから、しだいに銀行の取り立てが厳しくなる。競売に訴えるケースも出て来た。銀行の貸金は、利払いがストップして5年経過すると、時効になる。だから、今後は、銀行が、時効になるのを恐れて、競売にかけるケースは増大することが懸念された。しかし、誰も声を上げる人は出なかった。
 94年に毎日新聞から頼まれたコラムに、「バブル後遺症その損失と銀行の責任」という書いたところ、大きな反響があった。とくに多くの被害者からの手紙は胸が痛む内容だった。長年住んでいた自宅を銀行から競売にかけられ、心労のあまり、身体をこわし、病院に入院したという話や、夫妻で心中しようと考え、薬をもってさまよったという話が綴られていた。このような被害は、まだ氷山の一角。恐らくは、まだ被害に気がついていない被害者も相当いることが予測された。
 私が、運動を始めるきっかけは、銀行労働研究会によばれて、私の扱っている事件の話をしたことからであった。私は、日本の司法の現状を考えると、これらの被害者の救済は困難であること、かくなる上は、救済をさせるには立法によるしか方法はないことを話した。
法政大学の野田正穂名誉教授はじめ出席者から、「気がついたものが声をあげなければならない、あなたが、運動をするというのだったら力を貸す」と言われた。
 金融の専門家も力を貸してくれるというのならと決心した。95年から、「銀行の貸し手責任を問う」というシンポジウムを開催した。新聞の小さな告知板を見たといって、多くの人が参加してくれた。皆高齢だった。参加者の中から、正式に会をつくって欲しいという要望が出され、正式に「銀行の貸し手責任を問う会」が発足した。私は、会の事務局長として、会の活動にかかわってきた。会の活動については、本書でも触れているが、会の事務局長になって、さまざまな被害者に接し、また相談をうけた。
会の活動をはじめて当初、友人からは、たかが家がとられるだけではないか、命までとられるわけではないのだから、なにも、そんなに気負いこむことはないだろうと言われたりした。しかし、70、80歳を超える高齢者が、これまでまじめに働いて、やっと取得した自分の家が、銀行からの借入金が返済できなくて、とられてしまうことになったら、生きる希望も失うことになるであろう。
人生をやりなおす余力も時間もない高齢者にむごい仕打ちである。
 銀行被害者の事件は、これまで私が弁護士としてかかわってきたさまざまな事件とは、異質な事件であると思うのは、被害の生じる現場に私自身が立ち合うことを余儀なくされることである。
 確かに、被爆者も薬害エイズの被害者も被害は悲惨ではあるが、私がかかわる前に被害は既に生じてしまっている。それに比べ、銀行問題は、まさに生木を裂かれるような現場に私自身が立ち会わざるをえないことが多いのである。競売にはじまり、明け渡しの強制執行の現場である。私自身、この辛い現場に立ち合って、少なくとも寿命は、10年は短くなったという実感をもった。被害者は、もちろんそれ以上である。
私がかかわった少なくない事件で、競売をくい止めることはできたものも少なくない数あるが、それはあくまでも対処療法にすぎず、抜本的な問題解決にはいたってはいない。
 これからは、いっそう個人に対する競売は、銀行の不良債権の処理が国際公約になっているところからも、増大してきている。どれだけの人が、家を失い、悲嘆にくれていることか。それらの原因が、本当に自己責任であるのなら、ある意味ではいたしかたないとしても、多くの個人のばあいはそうではないのだ。バブル期に、平穏に暮らしていた多くの高齢者たちが、銀行をはじめとする金融機関の訪問をうけ、さまざまなセールストークによって巨額な融資をうけて、変額保険や不動産共同投資などを買わされ、その後のバブル崩壊により、人生の終盤で、まさに奈落の底に突き落とされてしまったようなめにあっている。
 不良債権は、数字だけで語られることが多いけれど、その不良債権の中には、血の涙が流れている銀行被害者の存在がいることにはあまり触れられていない。
不良債権の内容も吟味されずに、その処理の基準も不透明なままで、また不良債権を生じさせた原因と責任もあいまいなままに、処理されるとしたら、罪のない弱い個人にばかり、そのしわよせがよせられることになる。
しかし、日本のマスコミは、100万人もいる被害者のことも、また裁判所の実態もなかなか触れようとはしない。そうであるならば、被害の実態をもっともよく知る私が、このような被害が放置されて、救済されないことの不公正を書かなければと思い、「100万人を破滅させた大銀行の犯罪」を書いた。

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