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◆「禁じ手」を使わざるを得ない米国 10月29日 大前研一
この後はどうなるか。事業会社が倒産するとなると、失業率も2桁に達するだろう。特にGMやフォードは対前年比で売り上げが30%近く減っており、存亡の危機に瀕している。彼らの倒産が現実になれば収拾のつかない状況がしばらくは続くだろう。
また、金融機関の資産処理も時間がかかる。特にファニーメイやフレディマックが持っている500兆円にも上る資産の減量には5年はかかるだろう。そんな一気には売れるはずはないのだから。
その後にはフェーズ2の大物、シティバンクが控えている。シティバンクは40兆円のレベル3アセット(流動性が乏しく、評価が難しい資産)を持っているので、ワークアウト(減量)するとしたら3年、4年はかかるはずだ。仮にその後シティバンクが倒産する、あるいは非常に危機的状況になれば、20兆円ぐらいは資金調達しないといけないことになるだろう。
シティバンクが立ち直るまでどれくらいかかるのだろうか。今回の騒動でシティバンクは国営化される可能性が高い。次の段階は国営化されたものを民営化することになる。その間はシティバンクは拡大志向に移れない。
前回シティバンクが中南米危機で困難に見舞われたときにはクウェートの資本が入ってきて比較的短期間でV字回復した。クウェートが大もうけしたことが皆の記憶にあるので、今回のサブプライム危機の初期にはサウジアラビアやアブダビなどが米銀の救済に喜々として入ってきた。しかしその後、事情が分かり始めると急に腰が引けて、今では湾岸諸国は沈黙している。今回の米銀および米国の危機は、最低5年、長ければ10年——。立ち直るまでその程度の時間は見ておくべきだろう。
中国特需が終わり日本はどうなる?
この米国の金融危機は、我が日本にいかなる影響を与えるだろうか。米国ではこれから、商品の流通販売が非常に低迷し、失業率が2桁に達すると見られている。そうなると、雇用確保が重要な政策になる。
これでオバマ氏が大統領になれば、海外に出ている仕事を米国に戻そうするだろう。米国に進出している日本企業にとっては、断じてのんきに構えていられる状況ではない。もっとも輸入ではなく、米国での現地生産ということならば、米国も奨励してくれるとは思うのだが。
忘れてはいけないのは中国だ。中国は米国への輸出で経済が潤ってきた。そして中国の好景気が日本に中国特需を生んでいた。その中国がこけたら、当然日本にも大きな影響を与える。特に中国特需で潤っていたような重厚長大産業には直撃だろう。
この手の産業は以前は「構造不況産業」と呼ばれていた。それが中国特需という一種の回春剤みたいなもので、いつの間にか息を吹き返していたわけだ。その回春剤が切れるのだから、元の構造不況産業に後戻りすることになる。造船、鉄鋼、工作機械、海運、商社、など数え上げればキリがない。日本で同じような需要をつくりだすことは20年前もできなかった。また中国に代わるインドなども同じように世界的な金融危機で落ち込んでいる。これら産業は、かなり厳しい状況に陥ることを想定しておかなくてはならない。
中国特需の終了の波及は底知れない。また期間も計り知れない。軽く見ても1、2年ということはないだろう。500兆からの不良資産のワークアウト(処分)は、そうそう簡単には終わらないものだ。米国では銀行が機能不全に陥っており、クレジットカードの不払いも急増している。新たなローンを出す余力が乏しいので、住宅や自動車、耐久消費財などの需要は近年無かったほどの落ち込みが起こり始めている。回復にはクレジット、ローンなどの機能と、支払いを続けるだけの所得・雇用の回復が必要だ。いまのところ、その見通しが全く立っていない。
米住宅市場の回復には時間がかかる
日本で言う住宅公社であるファニーメイとフレディマックを国営化した影響は、新しい住宅ローンの契約減少に及んでいる。これまでは銀行が住宅ローンを出すと、裏側でこれを買ってくれていたところがあった。それがファニーメイとフレディマックだ。
ところが、その2社が国営化されてしまった。国はその始末(債権処理)で忙しいので、新たにお金を印刷して補充してやることは考えにくい。つまり、米国の不思議な住宅需要創造機械の役割を果たしていたファニーメイとフレディマックが壊れたので、新たな住宅ローンが出にくくなってしまったのだ。
一方、民間でやっていた住宅ローンも約50%(約500兆円)あったのだが、こういう状況になってくれば当然民間側も控える。結局のところ、これからローンを借りられるのは、お金持ちだけということになる。プライムどころかスーパープライムにしかお金を貸してくれないという状況になれば、住宅市場が回復するのに、相当な時間がかかるのは間違いない。
これらのことを常識的に考えれば、ワークアウトが終わるのに5年から10年はかかると考えていい。奇跡でも起こらない限りは——。この場合の奇跡とは、まったく前提条件の異なる事態が起こることだ。例えば戦争のような(戦争を推奨しているわけでは断じてない)。またバーナンキFRB議長の別名「ヘリコプター・ベン」の通り、彼の有名な論文に沿って空からお金をばらまくしかない。その後のハイパーインフレを考えなければ、そして既に世界中にばらまいた500兆円以上の米国債などのドル資産の減損を気にしなければ、そういう極端な意見もまかり通るかも知れない。
それくらい今回の金融危機は深刻なのだ。英国でもスペインでも、それくらいの時間はかかるだろう。両国では米国以上に不動産が舞い上がっていたのだから。
逆に比較的影響の少ない国もある。フランスやドイツは、この間一貫して住宅価格は上昇していない。ハイポ・リアルエステート(※)のような特殊な銀行の問題が解決されれば比較的早い段階で回復に向かうだろう。
(私のコメント)
アメリカの大統領選挙が近づいていますが、選挙資金の集まり方がオバマ氏が圧倒的であり、投票よりも選挙資金の集まり方を見れば選挙の行方が分かる。ネットを利用した資金集めで効果をもたらしていますが、日本ではネットを利用した政治資金集めは低調であり、相変わらずパーティー券を売る事が主流になっている。
オバマ候補は反日で有名なヒラリークリントンほどではないにしろ、民主党のクリントン大統領時代の政治スタッフがまた戻ってくる。選挙基盤も下層階級が多く不景気の影響をもろに食う人たちが多い。大前研一氏が言うようにドル安政策で海外に出て行った企業を呼び戻す政策が行なわれるだろう。
しかしいくらドル安になっても、中国との人件費の差はかけ離れているから難しい。しかし今回の金融恐慌は80年代のレーガン政権以来のアメリカの金融立国政策の大転換を迫られている。すでに金融機関からは数十万人のレイオフを出しており、ウォール街は火の消えたような状況だ。不動産も流通も建設もみんな悪いから、労働者の受け皿が無い。タクシーの運転手しか職は無いだろう。
日本はバブルが崩壊しても輸出企業は景気が良くて何とか日本経済を支えてきましたが、アメリカは経済を支える主力産業が金融崩壊でなくなってしまった。アメリカ政府はなりふり構わず公的資金で金融機関を救済していますが、救われた金融機関の経営幹部は豪華な旅行やパーティーで豪遊を続けている。億万長者たちは急には生活レベルは下げられない。
当面の注目はシティなどの大手の商業銀行ですが、公的資金の注入で一息ついていますが4半期ごとの決算のたびにウォール街は金融危機に見舞われることになる。そうなれば二度三度と公的資金の注入が行なわれて、今度はFRBの経営危機が起こるかもしれない。
アメリカでも大規模な貸し渋りで、これが実体経済をじわりじわりと苦しめていきますが、まだ始まったばかりだ。アメリカはカード社会でリボ払いが普通であり、膨れ上がったカードローンの返済は長い期間がかかるだろう。住宅ローンの返済も何十年もかかるから、消費不況は20年くらい続くのではないだろうか。日本がその良い例ですが、1、5%の超低金利時代にアメリカも突入した。
アメリカが長期不況に突入するのと中国が輸出の低迷でダウンするのとコインの裏表であり、米中の共倒れ状態になるだろう。日本も米中への輸出依存が大きいから輸出産業中心に経済は悪化する。中国は発展途上だから不況もじきに回復するという見方もありますが、中国経済は自立的に発展したのではなく外国からの投資と技術によるものだから外資が出て行ってしまうと元の木阿弥だ。
中国が積み上げた膨大な1兆8000億ドルの外貨準備も輸出が停滞して貿易赤字が常態化する時が来るだろう。それは韓国を見れば分かるのであり、韓国を20倍大きくしたのが中国であり、韓国も自立的発展が難しく素材や中核部品などを日本からの輸入に頼っている。その反面では石油や鉄鉱石や食品など輸入に頼らなければなりませんが、中国も石油や鉄鉱石など輸入に頼っている。国土が大きいわりには資源に恵まれていない。
アメリカの住宅ブームはグリーンスパンの超低金利政策が原因ですが、それがサブプライムなどの不良金融商品を拡散させて金融機関の命取りになり、グリーンスパンは議会に呼び出されて謝罪させられた。CDSなどの金融商品を取り締るのはFRBの役割でしたがグリーンスパンは規制反対論者だった。それが今ではアメリカの金融機関の多くが国営化して社会主義国のようになってしまった。
アメリカは基軸通貨国だからドルを刷れば世界中で通用する。しかしそれは米国債を買ってくれる国がある間だけだ。もし中国や日本が米国債を買わなくなればアメリカはハイパーインフレになりドルは紙切れ同然になってしまう。アメリカは軍事力にものを言わせて石油とリンクしてドルを流通させて米国債を外国に売りつけてきた。しかし中国はいつまでドルと米国債を買い続けるだろうか? そこが日本と違うところだ。
◆さよならドル(続・中ロ同盟がアメリカを滅ぼす日)Pre 11月2日 ロシア政治経済ジャーナル
引用の中にも出てきましたが、中国とロシアの貿易はこれまで、ドルでお
こなわれてきました。
人民元・ルーブルなんて、信用できる通貨ではなかった。
しかし、ドルの方がもっと信用できないので、「これからは人民元・ルーブ
ルで取引しましょう」と合意したのです。
まあ、ロシアはわかりますよ。
米ロ新冷戦の最中なのでね。
しかし、中国がこれに同意するとは。。。
なぜかというと、中国は外貨準備世界一・米国債保有世界2位。
ドルが下がると一番損するのは、中国と日本なのです。
それでも中国がドル体制崩壊に動くのは、「アメリカの覇権を終わらせよ
う」という明確な意志があるからでしょう。
アメリカがソ連のようになれば、中国は自動的に次の覇権国家です。
いやいや、覇権国家どうのを抜きにしても、アメリカがソ連のようになれば、
世界から中国の脅威はなくなる。
これはロシアも同じ。
NATO拡大も東欧MD構想も、全部アメリカが主導している。
アメリカが没落すれば、石油・ガスをロシアに依存している欧州が「NAT
O拡大」に動くとは思えません。
中ロがドルを使わなくなると、どのくらい影響があるのでしょうか?
両国の貿易額は現在年間500億ドル(約5兆円)程度。
世界経済全体で見れば、そんなに大きな額とはいえません。
しかし、問題はドル離れが二国だけで終わらないことです。
たとえば、フセインのイラクが、原油の決済通貨をドルからユーロにかえ
た。
すると、今度はイランもマネした。
さらに、中東産油国が湾岸共通通貨導入を検討しはじめた。
つまり、中ロの動きにより、ドミノ現象が起これば???
わかりますね。
1、ドルは大暴落し、基軸通貨でなくなる
2、アメリカは普通の国となる
3、アメリカは普通の「世界一の借金大国」となり国家破産
4、アメリカ、ハイパーインフレ
5、世界恐慌
もっとも重要なのは、中国とロシアは1〜5の結末を見越して、ドルを攻
撃しているということ。
別の言葉でいえば、中ロは、「アメリカが没落しても、おれらはサバイバ
ルできるだろう」と計算しているということなのです。
(私のコメント)
アメリカ人は単純な国民であり、中国は豊かになれば常識の通用する民主国家になると信じてきた。しかし中国人ほど信用が出来ない国民は無く嘘つきばかりだ。アメリカは歴史的にも中国に騙されてきましたが、中国はアメリカにエージェントを沢山送り込んで連邦議会議員やマスコミを取り込んでアメリカを騙し続けている。
民主党は特に中国びいきの連邦議会議員が多く、対日非難決議も民主党のマイク・ホンダ議員が主導している。もしオバマ大統領が誕生すれば再びジャパンバッシングの嵐が吹き荒れて、ドルを買わされて90年代の二の舞いになるのだろう。しかしアメリカは中国に騙されてアメリカは没落して、ロシア政治経済ジャーナル によればロシアと中国の時代がやってくる事になるらしい。つまりオバマ大統領を選ぶアメリカ人は馬鹿なのだ。
私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を
抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。 田母神俊雄
2008年11月1日 土曜日
◆航空幕僚長:「侵略国家は濡れ衣」と論文 政府が更迭 10月31日 毎日新聞
航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)=空将=が、日本の過去の戦争をめぐって「我が国が侵略国家というのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」と主張する論文を執筆していたことが31日、分かった。侵略と植民地支配を謝罪した95年の「村山談話」などの政府見解を大きく逸脱する内容。このほか、集団的自衛権の行使を禁ずる憲法解釈などを「東京裁判のマインドコントロール」と批判しており、事態を重視した政府は31日夜、田母神氏を更迭し、航空幕僚監部付とした。
◆日本は侵略国家であったのか 田母神俊雄
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。
満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。
またその1 期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
◆Was Japan an Aggressor Nation? Tamogami Toshio
Under the terms of the US-Japan Security Treaty, American troops are stationed within Japan. Nobody calls this an American invasion of Japan. That is because it is based on a treaty agreed upon between two nations.
Our country is said to have invaded the Chinese mainland and the Korean peninsula in the prewar period, but surprisingly few people are aware that the Japanese army was also stationed in these countries on the basis of treaties. The advance of the Japanese army onto the Korean peninsula and Chinese mainland from the latter half of the 19th century on was not a unilateral advance without the understanding of those nations. The current Chinese government obstinately insists that there was a “Japanese invasion,” but Japan obtained its interests in the Chinese mainland legally under international law through the Sino-Japanese War, the Russo-Japanese War, and so on, and it placed its troops there based on treaties in order to protect those interests. There are those who say that Japan applied pressure and forced the Chinese to sign the treaty, thus invalidating it, but back then . and even now . there were no treaties signed without some amount of pressure.
The Japanese army was subjected to frequent acts of terrorism by Chiang Kai-shek’s Kuomintang (KMT). Large-scale attacks on and murders of Japanese citizens occurred many times. This would be like the Japanese Self-Defense Forces attacking the US troops stationed at the Yokota or Yokosuka military bases, committing acts of violence and murder against the American soldiers and their families . it would be unforgivable. Despite that, the Japanese government patiently tried to bring about peace, but at every turn they were betrayed by Chiang Kai-shek.
In fact, Chiang Kai-shek was being manipulated by Comintern. As a result of the Second United Front of 1936, large numbers of guerillas from the Communist Party of Comintern puppet Mao Zedong infiltrated the KMT. The objective of Comintern was to pit the Japanese army and the KMT against each other to exhaust them both and, in the end, to have Mao Zedong’s Communist Party control mainland China. Finally, our country could no longer put up with the repeated provocations of the KMT, and on August 15, 1937, the Konoe Fumimaro Cabinet declared that “now we must take determined measures to punish the violent and unreasonable actions of the Chinese army and encourage the Nanking Government to reconsider.” Our country was a victim, drawn into the Sino-Japanese War by Chiang Kai-shek.
The bombing of Zhang Zuolin’s train in 1928 was for a long time said to have been the work of the Kwantung Army, but in recent years, Soviet intelligence documents have been discovered that at the very least cast doubt on the Kwantung Army’s role. According to such books as Mao: The Mao Zedong Nobody Knew by Jung Chang (Kodansha) 「マオ(誰も知らなかった毛沢 東)(ユン・チアン、講談社)」, Ko Bunyu Looks Positively at the Greater East Asian War by Ko Bunyu (WAC Co.) 「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」, and Refine Your Historical Power, Japan edited by Sakurai Yoshiko (Bungei Shunju) 「日本よ、 「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」, the theory that it was actually the work of Comintern has gained a great deal of prominence recently.
Similarly, the Marco Polo Bridge Incident on July 7, 1937, immediately prior to the start of the Sino-Japanese War, had been considered as a kind of proof of Japan’s invasion of China. However, we now know that during the Tokyo War Trials, Liu Shaoqi of the Chinese Communist Party told Western reporters at a press conference, “The instigator of the Marco Polo Bridge Incident was the Chinese Communist Party, and the officer in charge was me.”
If you say that Japan was the aggressor nation, then I would like to ask what country among the great powers of that time was not an aggressor. That is not to say that because other countries were doing so it was all right for Japan to do so well, but rather that there is no reason to single out Japan as an aggressor nation.
Japan tried to develop Manchuria, the Korean Peninsula, and Taiwan in the same way it was developing the Japanese mainland. Among the major powers at that time, Japan was the only nation that tried to incorporate its colonies within the nation itself. In comparison to other countries, Japan’s colonial rule was very moderate. When Imperial Manchuria was established in January 1932, the population was thirty million. That population increased each year by more than 1 million people, reaching fifty million by the end of the war in 1945.
Why was there such a population explosion in Manchuria? It was because Manchuria was a prosperous and safe region. People would not be flocking to a place that was being invaded. The plains of Manchuria, where there was almost no industry other than agriculture, was reborn as a vital industrial nation in just fifteen years thanks to the Japanese government. On the Korean Peninsula as well, during the thirty-five years of Japanese rule the population roughly doubled
from thirteen million to twenty-five million people. That is proof that Korea under Japanese rule was also prosperous and safe. In postwar Japan, people say that the Japanese army destroyed the peaceful existence in Manchuria and on the Korean Peninsula. But in fact, through the efforts of the Japanese government and Japanese army, the people in these areas were released from the oppression they had been subjected to up until then, and their standard of living markedly improved.
Our country built many schools in Manchuria, the Korean Peninsula, and Taiwan, and emphasized education for the native people. We left behind significant improvements to the infrastructure that affects everyday life . roads, power plants, water supply, etc. And we established Keijo Imperial University in Korea in 1924 as well as the Taipei Imperial University in 1928 in Taiwan.
Following the Meiji Restoration, the Japanese government established nine imperial universities. Keijo Imperial University was the sixth and Taipei Imperial University was the seventh to be built. The subsequent order was that Osaka Imperial University was eighth (1931) and Nagoya Imperial University was ninth (1939). The Japanese government actually built imperial universities in Korea and Taiwan even before Osaka and Nagoya.
The Japanese government also permitted the enrollment of Chinese and Japanese citizens into the Imperial Japanese Army Academy. At the Manila military tribunal following the war, there was a lieutenant general in the Japanese army named Hong Sa-ik, a native Korean who was sentenced to death. Hong graduated in the 26th class at the Army Academy, where he was a classmate of Lt. General Kuribayashi Tadamichi, who gained fame at Iwo Jima.
Hong was a person who rose to lieutenant general in the Imperial Japanese Army while retaining his Korean name. One class behind him at the academy was Col. Kim Suk-won, who served as a major in China at the time of the Sino-Japanese War. Leading a force of roughly 1,000 Japanese troops, he trampled the army from China, the former suzerain state that had been bullying Korea for hundreds of years. He was decorated by the emperor for his meritorious war service. Of course, he did not change his name. In China, Chiang Kai-shek also graduated from the Imperial Japanese Army Academy and received training while attached to a regiment in Takada, in Niigata.
One year below Kim Suk-won at the academy was the man who would be Chiang’s staff officer, He Yingqin. The last crown prince of the Yi dynasty, Crown Prince Yi Eun also attended the Army Academy, graduating in the 29th class. Crown Prince Yi Eun was brought to Japan as a sort of hostage at the age of ten. However, the Japanese government treated him respectfully as a member of the royal family, and after receiving his education at Gakushuin, he graduated from the Imperial Japanese Army Academy. In the army, he was promoted and served as a lieutenant general. Crown Prince Yi Eun was married to Japan’s Princess Nashimotonomiya Masako. She was a woman of nobility who previously had been considered as a potential bride for the Showa Emperor. If the Japanese government had intended to smash the Yi dynasty, they surely would not have permitted the marriage of a woman of this stature to Crown Prince Yi Eun.
Incidentally, in 1930, the Imperial Household Agency built a new residence for the couple. It is now the Akasaka Prince Hotel Annex. Also, Prince Pujie, the younger brother of Puyi . the last emperor of the Qing Dynasty, who was also the emperor of Manchuria . was married to Lady Saga Hiro of the noble Saga house.
When you compare this with the countries that were considered to be major powers at the time, you realize that Japan’s posture toward Manchuria, Korea, and Taiwan was completely different from the colonial rule of the major powers. England occupied India, but it did not provide education for the Indian people. Indians were not permitted to attend the British military academy. Of course, they would never have considered a marriage between a member of the British royal family and an Indian. This holds true for Holland, France, America, and other countries as well.
By contrast, from before the start of World War II, Japan had been calling for harmony between the five tribes, laying out a vision for the tribes . the Yamato (Japanese), Koreans, Chinese, Manchurians, and Mongols . to intermix and live peacefully together. At a time when racial discrimination was considered natural, this was a groundbreaking proposal. At the Paris Peace Conference at the end of World War I, when Japan urged that the abolition of racial discrimination be included in the treaty, England and America laughed it off. But if you look at the world today, it has become the kind of world that Japan was urging at the time.
Going back in time to 1901, in the aftermath of the Boxer Rebellion, the Qing Empire signed the Boxer Protocol in 1901 with eleven countries including Japan. As a result, our country gained the right to station troops in Qing China, and began by dispatching 2,600 troops there. Also, in 1915, following four months of negotiations with the government of Yuan Shikai, and incorporating China’s points as well, agreement was reached on Japan’s so-called 21 Demands toward China. Some people say that this was the start of Japan’s invasion of China, but if you compare these demands to the general international norms of colonial administration by the great powers at the time, there was nothing terribly unusual about it. China too accepted the demands at one point and ratified them.
However, four years later, in 1919, when China was allowed to attend the Paris Peace Conference, it began complaining about the 21 Demands with America’s backing. Even then, England and France supported Japan’s position. Moreover, Japan never advanced its army without the agreement of Chiang Kai-shek’s KMT.
The Japanese army in Beijing, which was stationed there from 1901, still comprised just 5,600 troops at the time of the Marco Polo Bridge Incident thirty-six years later. At that time, tens of thousands of KMT troops were spread out in the area surrounding Beijing, and even in terms of appearances it was a far cry from being an invasion. As symbolized by Foreign Minister Shidehara Kijuro, our country’s basic policy at the time was one of reconciliation with China, and that has not changed even today.
There are some who say that it was because Japan invaded the Chinese mainland and the Korean Peninsula that it ended up entering the war with the United States, where it lost three million people and met with defeat; it committed an irrevocable error. However, it has also been confirmed now that Japan was ensnared in a trap that was very carefully laid by the United States in order to draw Japan into a war.
In fact, America was also being manipulated by Comintern. There are official documents called the Venona Files, which are available on the National Security Agency (NSA) website. It is a massive set of documents, but in the May 2006 edition of “Monthly Just Arguments” 「 月 刊正論」, (then) Assistant Professor Fukui of Aoyama Gakuin University offered a summary introduction.
The Venona Files are a collection of transmissions between Comintern and agents in the United States, which the United States was monitoring for eight years, from 1940 to 1948. At the time, the Soviets were changing their codes after each message, so the United States could not decipher them. From 1943, right in the middle of the war with Japan, the United States began its decryption work. Surprisingly, it took thirty-seven years to finish the work; it was completed just before the start of the Reagan administration in 1980. However, since it was the middle of the Cold War, the Americans kept these documents classified.
In 1995, following the end of the Cold War, they were declassified and made open to the public. According to those files, there were three hundred Comintern spies working in the administration of Franklin D. Roosevelt, who took office in 1933. Among them, one who rose to the top was the number two official at the Treasury, Assistant Secretary Harry White. Harry White is said to have been the perpetrator who wrote the Hull note, America’s final notice to Japan before the war began. Through President Roosevelt’s good friend, Treasury Secretary Morgenthau, he was able to manipulate President Roosevelt and draw our country into a war with the United States.
At the time, Roosevelt was not aware of the terrible nature of communism. Through Harry White, he was on the receiving end of Comintern’s maneuvering, and he was covertly offering strong support to Chiang Kai-shek, who was battling Japan at the time, sending the Flying Tigers squadron comprised of one hundred fighter planes. Starting one and a half months prior to the attack on Pearl Harbor, the United States began covert air attacks against Japan on the Chinese mainland.
Roosevelt had become president on his public pledge not to go to war, so in order to start a war between the United States and Japan it had to appear that Japan took the first shot. Japan was caught in Roosevelt’s trap and carried out the attack on Pearl Harbor.
Could the war have been avoided? If Japan had accepted the conditions lain out by the United States in the Hull note, perhaps the war could have been temporarily avoided. But even if the war had been avoided temporarily, when you consider the survival of the fittest mentality that dominated international relations at the time, you can easily imagine that the United States would have issued a second and a third set of demands. As a result, those of us living today could very well have been living in a Japan that was a white nation’s colony.
If you leave people alone, someday someone will create the conveniences of civilization, such as cars, washing machines, and computers. But in the history of mankind, the relationship between the rulers and the ruled is only determined by war. It is impossible for those who are powerful to grant concessions on their own. Those who do not fight must resign themselves to being ruled by others.
After the Greater East Asia War, many countries in Asia and Africa were released from the control of white nations. A world of racial equality arrived and problems between nations were to be decided through discussion. That was a result of Japan’s strength in fighting the Russo- Japanese War and Greater East Asia War. If Japan had not fought the Greater East War at that time, it may have taken another one hundred or two hundred years before we could have experienced the world of racial equality that we have today. In that sense, we must be grateful to our ancestors who fought for Japan and to the spirits of those who gave their precious lives for their country. It is thanks to them that we are able to enjoy the peaceful and plentiful lifestyle we have today.
On the other hand, there are those who call the Greater East Asia War “that stupid war.” They probably believe that even without fighting a war we could have achieved today’s peaceful and plentiful society. It is as if they think that all of our country’s leaders at that time were stupid. We undertook a needless war and many Japanese citizens lost their lives. They seem to be saying that all those who perished actually died in vain.
However, when you look back at the history of mankind, you understand that nothing is as simple as that. Even today, once a decision is made about an international relationship it is extremely difficult to overturn that. Based on the US-Japan Security Treaty, America possesses bases even in Japan’s capital region of Tokyo. Even if Japan said they wanted those bases back, they would not be easily returned. In terms of our relationship with Russia as well, the Northern Islands remain illegally occupied even after more than sixty years. And Takeshima remains under the effective control of South Korea.
The Tokyo Trials tried to push all the responsibility for the war onto Japan. And that mind control is still misleading the Japanese people sixty-three years after the war. The belief is that if the Japanese army becomes stronger, it will certainly go on a rampage and invade other countries, so we need to make it as difficult as possible for the Self-Defense Forces (SDF) to act. The SDF cannot even defend its own territory, it cannot practice collective self-defense, there are many limitations on its use of weapons, and the possession of offensive weaponry is forbidden. Compared to the militaries of other countries, the SDF is bound hand and foot and immobilized.
Unless our country is released from this mind control, it will never have a system for protecting itself through its own power. We have no choice but to be protected by America. If we are protected by America, then the Americanization of Japan will be accelerated. Japan’s economy, its finances, its business practices, its employment system, its judicial system will all converge with the American system. Our country’s traditional culture will be destroyed by the parade of reforms. Japan is undergoing a cultural revolution, is it not? But are the citizens of Japan living in greater ease now or twenty years ago? Is Japan becoming a better country?
I am not repudiating the US-Japan alliance. Good relations between Japan and the United States are essential to the stability of the Asian region. However, what is most desirable in the US-Japan relationship is something like a good relationship between parent and child, where they come to each other’s aid when needed, as opposed to the kind of relationship where the child remains permanently dependant on the parent.
Creating a structure where we can protect our country ourselves allows us to preemptively prevent an attack on Japan, and at the same time serves to bolster our position in diplomatic negotiations. This is understood in many countries to be perfectly normal, but that concept has not gotten through to our citizens.
Even now, there are many people who think that our country’s aggression caused unbearable suffering to the countries of Asia during the Greater East Asia War. But we need to realize that many Asian countries take a positive view of the Greater East Asia War. In Thailand, Burma, India, Singapore, and Indonesia, the Japan that fought the Greater East Asia War is held in high esteem. We also have to realize that while many of the people who had direct contact with the Japanese army viewed them positively, it is often those who never directly saw the Japanese military who are spreading rumors about the army’s acts of brutality. Many foreigners have testified to the strict military discipline of the Japanese troops as compared to those of other countries. It is certainly a false accusation to say that our country was an aggressor nation.
Japan is a wonderful country that has a long history and exceptional traditions. We, as Japanese people, must take pride in our country’s history. Unless they are influenced by some particular ideology, people will naturally love the hometown and the country where they were born. But in Japan’s case, if you look assiduously at the historical facts, you will understand that what this country has done is wonderful. There is absolutely no need for lies and fabrications. If you look at individual events, there were probably some that would be called misdeeds. That is the same as saying that there is violence and murder occurring today even in advanced nations.
We must take back the glorious history of Japan. A nation that denies its own history is destined to pursue a path of decline.
(私のコメント)
「株式日記」では大東亜戦争における評価は歴史学者に任せるべきであると主張してきました。ところが日本では東京裁判以来、思想統制が行なわれて日本はアジアを侵略した犯罪国家ということになってしまった。それに対して日本の学者や進歩的文化人などが同調して、学校の歴史教育などでも日本は侵略戦争をした国家という風に教え込まれてきた。
東京裁判とは言っても戦勝国による復讐であり、本来ならば、イラクでイラクの判事がサダムフセインを裁いたように日本人によって裁判が行なわれるべきであった。しかし日本人は戦争責任を自ら明らかにしようとはせず、占領軍に任せてしまったのだ。もしサダムフセインをアメリカ人やイギリス人が裁いたら世界はこれを裁判とは言わないだろう。
しかし日本の国会ではいまだに思想統制が行なわれて、大東亜戦争に肯定的な見解を述べると首が飛ぶ。学界も首になるのを恐れて日本の近現代史の研究は停滞したままだ。もし戦争責任を追及していくのならば、天皇の戦争責任の問題を避けて通る事はできませんが、天皇自身は全くそのことには触れずに亡くなられてしまった。
旧憲法上は天皇の命令は絶対であり、天皇が中国からの撤退命令を出せば済む話が、それが出来なかったのはなぜか? 当時の国民世論が戦争に反対していたのなら軍部はそれを無視して戦争を拡大する事は不可能だっただろう。むしろ軍部は強硬な国民世論に押される形で戦争を拡大して行ったのだ。
当時を知る人はすでに高齢ですが、少年時代に提灯や日の丸の国旗をふりまわして提灯行列などに参加していた。マスコミも世論に迎合して戦争を煽り、戦争に反対していた新聞社には国民の抗議が押し寄せて論調を変えざるを得なかったのだ。戦前を知る人たちが戦後になって沈黙してしまったのは、東京裁判によって歴史が180度変わってしまったためであり、日本がアメリカと戦争するなどいかに無謀であったかをいやというほど知ってしまったからだ。
戦前においても石橋湛山のような「小日本主義」を唱える人もいましたが、国民の支持を得るものとはならなかった。戦略的に見て日本の大陸進出は間違いであり国力を消耗するばかりであり、歴史を見てもイギリスがヨーロッパ大陸に進出しても結局はすべてを失って撤退した。アメリカも朝鮮戦争やベトナム戦争で失敗し、イラクでもいずれ撤退せざるを得なくなるだろう。
田母神俊雄氏は現役の航空幕僚長ですが、この論文がもとで更迭されましたが、どこか事実関係で間違ったことを書いているのだろうか? もちろん戦争が始まる前には様々な謀略が渦巻くものであり、一つの事実がどのような意味を持つのか解釈によって異なってくる。
現在の麻生政権でも「村山談話」を継承している立場ですが、中国から見れば侵略戦争であり、日本から見れば中国の内戦に巻き込まれたと見るべきだろう。当時の中国は蒋介石の軍や張作霖などの軍閥が群雄割拠している時代であり、中国共産党もチャンスを狙っていた。蒋介石がアメリカから援助を貰えば、日本は汪兆銘を支援してソ連は共産党軍を支援していた。そして最終的に共産党軍が勝って中国を統一した。
中国共産党から見れば、アメリカも蒋介石を支援して中国共産党を苦しめたけしからん国であり、日本を非難するならアメリカも非難されるべき国だ。イギリスだって当時は中国を植民地支配していたのだからイギリスも非難すべきだ。ところが中国は日本に対してばかり侵略戦争を非難する。
韓国も中国に同調して日本の36年の植民地支配はけしからんと非難をしていますが、田母神氏が論文に書いているように日韓併合であり国際的に認められたものであり、植民地というのなら朝鮮人の陸軍中将がいたことをどう説明するのだろうか? 大東亜戦争は朝鮮人も日本軍の一員として大東亜戦争を戦ったのだ。
中国は戦勝国の一員として国際連合で常任理事国として納まっていますが、当時の中国は中華民国であり共産党の中国は存在していなかった。中国が日本を非難してアメリカやイギリスを非難しないのは戦勝国でいるためであり、日本軍と共産党軍が戦った事をアピールする事で正当性を主張しているのだろう。しかし当時の共産党軍はゲリラ戦しか出来ず軍隊とはいえないものだった。
田母神氏が論文で一番訴えたい事は、東京裁判史観を植えつける事で、日本人の精神が萎縮していって衰退する事を恐れる事だろう。アメリカ軍は60年以上経った今も日本を占領し続けていて、100箇所以上のアメリカ軍基地が日本全国に展開している。しかし日本人のほとんどがいまだにアメリカによって占領されている事実に気が付いていない。
しかし田母神氏が論文の冒頭で書いているように、アメリカ軍は日米安保条約のもとで認められているのですが、アメリカ政府は教育とテレビを使って巧みに日本人を洗脳して行って、日本がアメリカに占領されている状態に気が付かないようにしてしまった。あくまでも日本からアメリカ軍が撤退しない限り日本の独立はないのであり、日韓併合時の朝鮮と日本は状況は同じなのだ。
田母神氏の論文は英語でも書かれており、日本の主張として海外に訴えていかなければならない。もちろんアメリカやイギリスは内容に関して反発するだろう。しかし訴えていかなければ日本はいつまでも侵略国家の汚名を着せられ続けてしまう。日本はあくまでも人種差別撤廃と植民地解放に立ち上がったのであり、だからこそアメリカの黒人も解放されて公民権を得る事ができた。60年代頃までは黒人のアメリカ大統領が現れることなど考えられない事だった。
投稿者 sfu9xi | 返信 (0) | トラックバック (0)